『ヤンデレ少女にいちゃラブされちゃうアンソロジー』感想:ヤンデレはなかったがいちゃラブはあった。

2018年、アンソロジー。

この手のテーマ型なんとかアンソロジーって絶対テーマに沿ってない印象あるんだけど気のせいだろうか。ヤンデレというよりメンヘラ・キチガイ・ホラー・ストーカー、しまいに百合。うーん、まぁ、ヤンデレって短編だと難しいよなぁとは思う。しかしこれではあまりにもあまりではないか……。でもこれ3巻まで出てるんだよなぁ。

うーん、しかし短編という制約があるのはそうにしても、本書は2018年、未来日記が出てから10年で、ヤンデレの解像度これなのかというのはちょっと悲しい。

以下在りし日の我妻由乃の呪縛から未だに解かれない1巻感想。未だに彼女を超えるヤンデレを知らない。……なぜかはわかる、雪輝を描かないからなんだよ。

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コレジャナイ

こんなんヤンデレ違う……と思いながら読んでいたが、まぁ正直別に期待していたわけではなかった。どういうわけか、この手の商業テーマ型アンソロジーでテーマに沿って良かった例を僕は知らない。この手のアンソロジーはむしろエロ系であるのだが、しかしエロという実用ジャンルでさえ、コレジャナイの塊みたいなのがたいていで、いったいどういう経緯で作者さんが選定されたのか、疑問に思うことしばしばであった。絶対大して好きじゃ無いと思うんだよ。いや真面目になんなんだ?

とりあえず本作にヤンデレはなかった、と思うんだが、いちゃラブはあった。「アキくんは愛されている」はヤンデレではないが、紛うこと無き純愛であったので、ヤンデレ好きよりはむしろボーイ・ミーツ・ガールの信徒に勧められる。まぁ、ちびっとホラーだけどね。ホラーも純愛と相性がよい。

そしてこれが一番ヤンデレに近くもある。実際、純愛とヤンデレはなかなか親和性が高い。というより、純愛はヤンデレの必要条件の一つだ。まず、ヤンデレはファーストラブ以外ヤンデレじゃないんで。ヤンデレは運命にかけるその執念が必要条件だ。したがって、あなたがいなくても代わりはいるものみたいなのはまずヤンデレではないし、ついでにいえば浮気ダメ、ぜったい。ただしその矛先は男ではなく女に向かう。

ここらへんは前提条件であって、解釈がどうとかではない。この道を外すと、それはヤンデレというよりメンヘラとかそっちの方向にいく。メンヘラヒロインはいっぱいいるぞ。

きわっきわをせめて、ギリギリヤンデレから外れたのは異常者の愛だろうか。

これはヤンデレとサイコパスの境界線のようなものであった。その境界線はどこにあるか?それは、どこまでも自己愛で完結していたところに違いがある。

つまり、ヤンデレは愛されたい自身を相手に投影した自己愛の化物のようでありながら、しかしそれでもなお、投影しきれず相手を愛してしまった、しかしそれを認めきることもできない矛盾に、その魅力がある。それを体言したのが後にも先にも未来日記の我妻由乃なんだが、ヤンデレは見た目が華やか(?)であるためか、表層的な行動ばかりなぞらえて、ただのキチガイ女をヤンデレと呼称する例が後を絶たない。

妙な話だが、結果的に相手を不幸にすることはあっても、引きずり込むのはヤンデレではない。ヤンデレはそこまで徹することができない。どこまでも自己愛のようでいて、実は本当に相手を想う気持ちもまたある、しかもそれを自覚できないでいる、そこにヤンデレの美しさがある。……これは我妻由乃の解説か?まぁでも彼女こそヤンデレクイーン。

そしてこの難しい関係は、当然ながらヒロイン一人で構築できるものではない。ヤンデレは単なる性格ではない。ヤンデレとは関係性の中で成り立つ。そんなの当たり前じゃないか。一人で恋愛できるか?一人で何にデレるんだ?画面か?

……ということが忘れられている昨今、もはやヤンデレを見ることはかなわないのかもしれない。

外れることで当たりを知る……かもね?

ということで1巻を読んだ限りではヤンデレではないなぁだったんだが、正直まぁそうだろうと手に取っていた。そりゃもう、アンソロジーに当たりなんかねぇから。これはこの世の真理だから。コミカライズは平成後期に随分と進化したが、アンソロジーは未だ地雷原なり。

それでも読んだのは、むしろハズレを読むことで、自分の中にあるヤンデレ概念が明確になるのではないか、と思ったからだ嘘です楽に読んで感想記事書けそうだったからです。書けました。

2,3巻もそのうち読みます。楽に書きたいときとかに。

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