やっぱりギャグ漫画じゃないか。と思いながら読んだのだけれど、これは珍しいなぁと思った。
世の中どうもラブコメというのはちょっと下に見られているのか知らないが、ラブ以外の要素が強めと思われると、謳い文句に「ラブコメ」の4文字が入らなくなる傾向があるように思われる。「お前がラブコメじゃなかったらなんなんだよ」みたいな作品でも「なんとかコメディ」とかオンリー謎ジャンルが作られていたりする。
本作はその逆で、外形的にはド直球のラブコメなのに、ギャグに入るだろうと思われた。実際ギャグだと思う。ただそのコアはやはりラブコメなので、その意味では本質的ラブコメ。
以下4巻まで通しての全体的な感想。こういうのスポーツ漫画では割と多いんだけど、ラブコメではちょっと見ない。
前回記事

ラブコメには違いないけれど
漫画のことが全然全然好きでもない100人の一般人に見せれば全員が「これはラブコメ」と言うだろうし、ラブコメとして世に出されていると思われる。たしかに外形的にはラブコメなんだが、その見せ方はどこまでもギャグ漫画で、そちらのほうが楽しみ方としてはより本質的に思われ、これはたいそう珍しいなと思った。
冒頭に書いたとおり、ラブ以外の要素が強い作品はあまりラブコメを強調されない、なんならラブコメとすら言われない傾向があるなぁと思っていて、実際コメ要素が強ければなんとかコメディとかいう謎ジャンルを作られていたりして、俺なんかは「ラブコメって言えやなんで言わんねん」みたいな気分になることもしばしばあった。田舎の出身地を隠している都会っ子かい。
だがよく考えるまでもなく、「彼女100人できるかな」はラブというよりギャグである。実際この漫画はあまり真面目に読み込むようなものではないし、展開もラブコメの定石を大げさに表現して笑うようなものが多い。
ラブコメ界のキャプ翼
本作はラブコメじゃないとでも言いたいのか、と思われるかもしれないが、そうじゃないんだ。ただ見せ方がラブコメのそれではない、と言いたいんだ。いやもう完全にギャグ漫画なんだよなぁ。
言っていることがわからんかもしれないが、これは漫画全体では珍しいものではないので、具体例を挙げたほうがわかりやすいだろう。特にスポーツ漫画で多いと思うので。
たとえば、世の中にはキャプテン翼をサッカー漫画として読んでいない人はけっこういるだろう。いやキャプテン翼はサッカー漫画だし、なんならレジェンドではあるんだが、真面目な顔してスカイラブハリケーン読めるかっていうと、その点に関しては「いやまぁ漫画なんで」って感じになるよね。ああそうだ、テニスの王子様はどうだろうか。いや、あれもテニス漫画だよ。でも真面目にテニスとして見た時、波動球で場外までぶっ飛ぶのを見て真顔でいられるか、という話。
本作もそれに近い。確かにやっているラブコメなんだけれど、真面目にラブコメとして見ると、まるでテニス漫画で波動球を見た時のような顔になってしまう。
特に3巻の羽香里奪還話はこの傾向が顕著だった。捕らわれのお姫様を救い出すのは今も昔もラブコメでは大人気のテンプレートなわけだが、それにしたって「いったいどこまで真面目なんだよ」と言いたくなるような展開の連続である。緊迫感があるんだかないんだかわからない。ってかない。状況はシリアスっぽい気もするし、実際緊迫感があるような雰囲気は出しているけれど、正直読んでいる側はまったく緊迫していない。むしろニヤついてる。
読者の神視点では確かに真顔ではいられない本作だが、しかし作中人物の想いの切実さ、これは本当だ。波動球を見た読者は笑っているだろうが、波動球を見た作中人物たちの心境はシリアスであるように、恋太郎ファミリーの気持ちは本物なのである。これを作中人物までが笑い飛ばすと、恐らく名実ともにギャグ漫画ということになると思うだけれど、そうではないので、俺たちのテニプリはやっぱりテニス漫画なのだし、そして本作はラブコメなんやね。
わざわざラブコメの皮を被る非合理さにラブコメ愛を感じる
で、最初の話に戻るんだけれど、コアはラブコメだけれど中身はギャグ、しかし皮はラブコメ、みたいな構成ってかなり珍しいと思うんよ。でもスポーツ漫画ではこういう構成はよく見る。ぶっちゃけ読者の大半がスポーツ漫画として楽しんでないだろみたいな漫画いっぱい思い浮かぶ。
これはラブコメが他人に言いづらいジャンルで、スポーツが他人に言いやすいジャンルであることと無関係ではないように思うんよな。このへんの話は久米田康治のかくしごとでもネタになっていた。


久米田康治によれば、スポーツはもっとも言いやすいジャンルらしい。であれば、外形的にはその言いやすいスポーツ漫画の皮を被りながら、実態としてスポーツではない別の何かを表現するというのは、かなり合理的なアプローチだろう。その表現する何かがラブであることもしばしばあって、現にこのサイトでは通常ラブコメに分類されない作品も取り上げて「まぁぶっちゃけラブコメだよこれ」みたいなこと言ってることもままある。
それに対して、ラブコメはピラミッドの下層にあるため、わざわざ言いづらいジャンルであるラブコメの皮を被る必要は合理的にはない。まぁギャグもラブコメと同じ位置にされているけれど、本作の場合はエロ要素もそれなりに強めなので、全体としてはやはり「人に言いづらいジャンルの皮をわざわざ被っている」とも言える。
だからこそ珍しさを俺は感じたわけだが、珍しいのはそんなことするのは不合理だからだ。なぜ不合理なことをするんだろう?目新しさを求めていうのはあるかもしれないんだが、俺としてはそこにラブコメというジャンルに対する愛を感じずにはいられない。好きじゃないとできないよなぁと思った。
愛はいつだって不合理
まぁゴチャゴチャ言ってきたけど、これは穿った見方というやつで、本作を読んでこんな考え込む必要はまったくないし、意味不明なんだけれど、それは俺自身のレビューに対する不合理な想いがそうさせるのです。愛とは常に不合理なものよ。
そんな感じでなるほどなぁと思いつつ、正直このテンションでずっと読んでいくの厳しいとも思っていたりする。もう20巻も出てるようだけどちょっとしんどみがある。今から追いつくのつらい。目標遠すぎて泡吹いてる。なので、これ以上単行本は追わないかもしれない。Webで読める範囲はちょびちょび読んでいこうかな、とは思っている。一気に飛ばすことになるけど、多分飛ばしても問題ない系だと思うので……。
まぁそういいながらも多分機会があれば読むと思うし、機会はそのうちにありそうな気がしている。なんとなく。
次回


コメント
コメント一覧 (2件)
まあ正直なお話として、この作品は『100人のヒロインを登場させて全員幸せにする』のコンセプトで始まった物語ですので、世界観をギャグにしておかないと成り立たないのだと思います。
元々1話から神様を出してこの作品はこういう世界観ですと説明しているのも、100人出す為の整合性を合わせるためなのでしょうし。
真面目に考えてしまうとキャラクターのコンセプトがぶれてしまうので敢えて世界観の方をギャグにしているのだと感じました。
設定の時点でギャグじゃないと成り立たないのは間違いないですね。
色々なものがやり過ぎるとギャグになるので、各ジャンルに意図していないものも含めてギャグ化したものがあるのだと思いますが、
そういえばラブコメを先鋭化してギャグにするのは珍しいなぁと思いました。