このブログをつくったのは2016年1月のこと。そして今は2025年5月。その間に書いた記事は1500を超える。よくもまぁ続けているよなと自分でも感心する。
そうして最近、自分の記事を読み返していて(僕は時々そうする)思ったことがある。この記事を書いている奴は、漫画を語る言葉を持たない。酒を飲んでわかった。酔ったからじゃない。酒がうまかったからだ。あるいはまずかったからだ。ただ、どううまいのか、あるいはまずかったのか、言えなかった。そしてそれは、漫画でも一緒だということに、はたと気づいた。
言葉にできることしか言葉にしてこなかった。以下反省文。
教えてのあ先輩!
僕の感想記事は非常に偏っている。何が書かれているのか、そして自分がどう解釈したか、それについて執拗に時には偏執的なレベルに深掘っていくのに対して、漫画がどのように描かれているのかについて、ほぼほぼ言及していない。このコントラストが際立っている記事で比較的最近のものは、のあ先輩の4巻記事がそうだろうか。

のあ先輩6巻までポチってるのにまだ読んでねーや。
得意な書き方:具体の抽象化
まぁそれはいいとして、この4巻の記事は僕の特徴がよく出ている記事だと思われる。作中で何があったのかを書き、そしてそれについての解釈を事細かに書いている。たとえばのあ先輩NTR事件についての事実とその解釈。
ただやはり思うところはあるのか、助けてくれたことにお礼を言うのあに対して「…一瞬ついて行きそうでしたもんね」という目には些かの冷たさを感じなくもない。
というよりは、のあがどんな反応をするか、様子を見ている、というほうがいいだろうか。「一瞬」と頭につけたように、理人はのあが本当に軽いナンパについていくとは思っていないだろうし、実際そういう人だったらのあ先輩(27・処女)は完成していなかっただろう。のあ先輩、なんだかんだで一線は越えないから。
しかし、一瞬心揺らいだのは違いない。まぁそれ自体は子供が褒められて嬉しくなった程度の意味しかないだろうし、また理人はのあが本当は困っていることをわかってはいただろうが、それ以上に、いかなる心情にせよ、これ以上のあが揺らいでいる姿を見たくなかったのだろうと思う。
ここには事実の描写と、それに伴う登場人物の微妙な心情についての解釈を書き連ねている。
また、のあ先輩の一番じゃないとやだ宣言については、以下のような記述をしている。
「あたしが一番の友達じゃないとやだ」ともだち。の分際で嫁と同じ土俵に上がろうとするんじゃない。
この友達も恋人もフラットに見てしまう、様々な関係性を区分けできていないのはのあ先輩の特徴の一つ。だから結婚とかちゃんと想像できてないのはそうだろうし、友達についても独自の概念を持っている。のあ先輩の持つ距離感って超インファイトのそれしかないんだけれど、ぴったりくる名前がちょっと思い浮かばない。漫画だと双子系のキャラクターでよくあるような、片割れを自身と一体化させたような距離感に近いだろうか。それ以外の距離感がないの厳しい。そしてこの距離感をともだち。と表現するのは本当に厳しい。
これものあ先輩の言葉を取り上げて、そこから本作の表題にもなり、かつのあ先輩のパーソナリティのコアとも言える部分について考察を連ねている形だ。当時、その距離感について言葉にしあぐねているようなことを書いていたが、よくみると「一体化」と書いた距離感がまさにそれだろ。距離感ゼロ次元女のあ先輩。
ここらへんの、具体的な事実から展開させて自身の解釈に持ち込んでいくのは、僕の得手とする書き方だ。
苦手:具体そのものの描写
一方で僕が不得手としているところも、この記事には出ている。まずのあ先輩の「一番じゃないとやだ宣言」のシーンについて、僕はわざわざ画像引用をしているのだが。

こののあ先輩オーラ全開の圧倒的な表現について、キャプションで「圧倒的集中線」と一言書いてあるのみで、のあ先輩のボロボロの涙も、なんか服着て無さなことも、そして先輩の心情を反映して一緒に泣いているホラーウサギも、僕は一切触れていない。
さらにその後、理人とのあのシーンで本作でも稀有な綺麗なコマ

ここを引用しておきながら、僕の言葉は一言
このコマ好きなんだけど、「興味あるってことです」は理人の偽らざる気持ちを端的に表現したものだろう。
「このコマ好きなんだけど」以上終わり。いやなんでやねん。何がどう好きやねん。理人の言葉に打たれたのはわかるが、まずこの空間を贅沢に使った匠の白抜き白背景についてなんか言うことあるやろお前。
と読み返して思ったのだがノーコメントでした。
まぁこの記事はかなり長くなってしまっていたので、記事後半は「ちょっとこれ以上長いのはさすがに……」と抑制的になっていたのはそうだと思うんですが、それにしたってなんか言え。
赤を赤とわかるがどのように赤なのか言えない
以上、おわかりいただけただろうか。僕は漫画の中で何があったのかは完全に把握しているし(ちゃんと読んだやつは)、その内容を客観的に読解したうえで自分が最大限素敵だと思える解釈に持っていくことは、自分で言うのもなんだが相当偏執的にやっていると思う。しかしそれに対して、それがどのように描かれていたのか、つまり漫画としてどのように表現されていたのかについて、まったく語らない、というより語れないのである。このコントラストがすごい。
抽象化すると、僕は、具体の中でも事実はわかるが様相がわからない。
赤を赤とわかるし、その赤を見て感じる自分の心は言える。しかし、その赤がどのように赤だったのかを語る言葉を持たない。
そしてこの課題は、実は9年のブログで僕がずっと抱えていた課題でもあった。
お茶もコーヒーも酒も何もかもわからない
薄々気づいていたが、改めて自覚したのは、最近、酒の味を表現しようとしてまったく何も言えなかったことだ。マジで「うまい」「まずい」「甘い」「苦い」程度の言葉しか出てこなかった。それで僕は気づいてしまった。
どうやら僕が言葉に出来るのは極めて一部分のものであるらしい。それは当たり前なんだけれど、いまさら強く自覚したのは、今まで言葉にできることしか言葉にしてこなかったからなんだろう。なまじっか、言葉にできることがあったから、ついそればかりを使ってしまった。実際、感想記事なんかは抽象化ができればそれで十分だったりする。
しかし深い解釈には同じくらい対象を鋭く照射しその様相を描写できていて然るべきではなかったのだろうか。これだけ長いこと記事を書いてきたのに、その努力を果たしてしてきたか。まったくしていないことはないだが、限定的だろう。僕はあまりに、自己に内在する感性ばかりを重視しすぎていたのではなかろうか。対象をもっとよく見なくてはいけなかったのではないか。
これは漫画だけではなくて、あらゆることに言える。僕は酒が好きなのに酒の味が言えない。コーヒーも好きなのに、豆は全然わからない。業務用インスタントコーヒーとミルでひいたレギュラーコーヒーの違いくらいはわかる。でもそれ以上はわからない。お茶もわからない。この前ハーブティー飲んだら「安いガムみたいな匂いだ」と思った。あるいは安いガムの匂いがハーブティーだったのかもしれない。
万事このような感じだから、対象の様相を描写できないのは僕の一般的な性向と思えた。僕は存在を認識し、事実を把握し、整理することができる。そして抽象化できる。自身の中で生まれた感情を言葉にのせることも人より多分うまくできる。しかし、目の前にあるものがどのようにあるか、それが言えない。ザコしか言えないメスガキくらいの語彙力しかない。ざぁこ、ざぁこ、語彙力よわよわ、小学生の作文以下♡
イチから修行
そんなわけで、僕は今一度、自分の書き方について見直している。というのも、具体の様相まで読み取ったほうが、よりよい解釈ができるはずだからだ。
現状はこの様相→読解のラインが弱いと見える。
もう少し様相を補強できれば、僕の読解も一段深まるかもしれないし、そうすれば解釈もより納得性があり素敵なものを見出せるかもしれない。
前述したとおり、これは漫画の読み方のみならずあらゆることに言える。結局のところ、僕の人生の態度が僕の読み方にそのままに出た帰結だと解釈している。まぁ、仕事上求められてかつうまくやれたところの能力を伸ばした結果にも思えるのだけれどね。ただもう少し、対象についてそれがどのように存るのかを、客観ではなく主観的感性で捉えられてよいように、今さらながら思えた。
そんなわけで、僕はとりあえず酒の味を言葉にするところから始めている。ソムリエってあれ、酒という言葉にできないおいしさをなんとか言葉で共有するための努力なんだなぁと実感したよ。まぁさすがにあれをやりたいと思わないが、もう少し何かまともな言葉で表現はしたい。いや、決して酒を飲む言い訳にしているわけでは……。今後、感想記事でもしなんか漫画の描かれ方そのものについてゴチャゴチャいい始めていたら、僕なりになんか頑張ってなんだなぁと生暖かく見守っていただければ幸いです。
のあ先輩の新刊もそのうち読みます。頑張って反映するかも?のあ先輩メンタルざぁこ♡見えてる地雷♡自分大好き♡自キャラが制服♡自虐の言葉は否定待ち♡無自覚ストーカー♡年下の部下に休日もつきまとうヴァージン上司♡足太いのにスカート短い♡絶対谷間見せる♡彼シャツ好きそう♡勝手に理人のシャツ着そう♡勝手に理人の合鍵作る♡
いやそういうんじゃねーんだわ。学習リソースが偏り過ぎたLLMの末路。学習リソースに気をつけよう。パイセンによろしく。

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