作・フクダーダ、2014年4巻、2015年5巻。許嫁?的なナニカが増えるよ!どいてそいつ殺せない!
ということでまた増えるんだが、内容的には同じ事を繰り返しているような気もするのでなんとなくパラパラと読んでいる。ちゃんと読めば何かが繰り広げられているのはわかるだろうが、あまりちゃんと読んでいない。ただ何が起きているかはなんとなくわかる気がするのは、そりゃラブコメ読んで10数年ですしおすし。
まぁ10年前の漫画ではあるのだけれど、最近だとみんな大好き100カノと比べると、ハーレムと修羅場の違いがわかりやすいかもしれない。本作はハーレム漫画っぽいが修羅場色が強い。
以下ハーレムと修羅場の違いを語る4-5巻感想。さすがに感想と言い難い気もした。ハーレムと修羅場の違い、全部言えるかな?(言えなくて良い)
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前回と変わらず今回も女たちの戦争。
少年はハーレムを目指す
さて、冒頭から古のネットミームをちりばめてふるいに掛けたわけだが、別にそういう意図があったわけではなく、なんとなく本作を読んでいると自然とあの時代のミームが脳裏をよぎるんだ。それはノリのせいだかろうか、それとも絵柄のせいだろうか。
あるいはブルマのせいなのか?あれを見ると急速に時代が巻き戻るような感覚を感じる。ただ俺自身は実物のブルマの記憶はなく、あの頃既に漫画アニメの中にしか生きていなかったのではないかと思うが、それだけに「漫画アニメの中にだけある謎の学校公認エロ着」と、狭間の世代の性癖に影響を与えてくれた気がする。あ、与えられてなんかないんだからねっ。
まぁそれはどうでもいいんだが、本作は20年くらい前に流行っていたようなハーレムもののその先を突き詰めた漫画、という感じがする。00年代の残り香を閉じ込めて煮詰めたといってもいいかもしれない。
つまり本作で描かれているのは、ハーレムというよりハーレムの先にある修羅場なんやね。一般的にハーレムものっていうのは、たくさんの女の子に何故か選ばれた幸せハッピーという構成で、当時……ってかまぁ今も人気のジャンルだけれど、ハーレムについて少し真面目に考えると、選ばれた一人の男の背景には選ばれなかった多数のモブがいることに気づくわけだ。
まぁフツーは気づいたところで考えないわけだが、どうも自分は今世紀最後のモテ男ではないらしいと実感をもって気づけるようになるに従って、なんかしらんがもってもての主人公が鼻につく、というのはあるだろうと思う。つまり、男の浪漫を描いたハーレムが、選ばれなかった男の現実に見えてしまう、という流れだ。最近のNTRブームの中で、昔流行っていた某ハーレム漫画の全員NTRみたいな闇の深そうなやつをたまに目にするのも、この視点とは無関係ではないだろう。皆大人になり申した。
どいてそいつ殺せない世界
なので、ハーレムはほとんどの男にとって厳しい設定なんじゃないのか、というのは最初に気づくことだ。そういえばハーレム漫画だったロザリオとバンパイアでもしれっと指摘されていた記憶がある。まぁこれは実際そうだろう。

しかしもう少し考えて女子の立場に立ってみると、恐らくまた見え方は変わる。男からすると、女子はむしろ選択の自由が増えて良いのではないか、ブサメンの本妻よりイケメンの側室のがええんやろ?とやるせない気持ちになるが、女子の立場では多分そうは見えない。端的に言うと、ブサメンの姿が消えて、全員でイケメンを取り合うような世界に見える、のではないか。これは男からするとなんでやねんではあるが(就職活動で想像すると共感できるかも?)、しかしだからこそハーレム状態は成り立つ。
漫画的に言えば、ヒロインの目にモブはそもそも男として映っていない。
ヒロインの目にうつるのは、たった一人の(ヒロインにとっては)冴えた男と、それに群がるライバルの雌共である。したがって、ハーレムは男にとって厳しいのはもちろんだが、主観的には女にとっても厳しく感じられるはずだ。
そして長くなったが、本作で描かれているのは、まさにそういうハーレムの先で繰り広げられる女たちの戦いだなぁ、ということだ。これはどこぞのとらぶってたやつなんかが、その手前、モテモテの雄と雌たち、という最初のラインで留まっていたのとは違う。
このように言うと、「一夫一妻の制度があるからでは?」と思われるかもしれない。それは否定しないけれど、多分本質じゃない。たとえば最近のお嬢様の僕(終わった?)というこれまたハーレム漫画においては、「たとえ一夫多妻でかつハーレムを許容できたとしても、自分が本妻じゃないと納得できないのではないか」というヒロインがいる。恐らくはこれが本質で、ハーレムを許しても、一番は自分でありたい、という戦争が起きるのではないかな。
つまり、一夫一妻の本質はむしろいつか終わる戦い、「ほどほどのところで終わらせようね」であって、むしろ一夫多妻の本質こそ永遠に終わらない女たちの戦い、すなわち修羅場の舞台装置となる。
どかなくていいそいつ殺さない世界
本作を読んでいると、そういう剥き出しの修羅場を見る。そこにいるのはひたすらに女たち、たまに思い出したように主人公の男も顔を出すが、基本的には名前を呼ばれるだけの存在だ。これはとらぶっていたツンツン頭が割と存在感あったのとは対照的である。ここに描かれているのはハーレムの先にある修羅場なのだ。
これが00年代の結論だったと思うのだが、最近は修羅場ルートを回避した漫画がある。みんな大好き100カノがそうだね。あれはハーレムのクラスチェンジ先をコミュニティにすることで、修羅場を回避した一例。さながら新興宗教団体のような感じになっているが、実際主人公は教祖的な存在感があり、これも本作とは対照的だと思う。

まぁ、どちらが良いというものではないと思うが、というか僕は1vs1のカップリングが好きなので教義が違うといったところなんだが、しかしそれにしても、最近のラブコメ事情には、なんとなし世情の流れが反映されているような気がする。
ということで相当な文字数になってしまったのでここで終わりたいが、さすがにこれを感想記事といってよいのかはわからなくなってしまった。申し訳ねぇ。6巻以降も読むからさぁ……。そのうち……。


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