雑文 ラブコメとは当世の流行に過ぎなかったか

一応読んでいる漫画のストックはあるのだけれど、なんとなし記事を書く気になれない。少なくとも感想記事は…。

いや、もちろん書こうと思えばそりゃ書ける。十年このろくでもない作業を続けてきた。手癖で書けるんだ。しかもそれなりに読めるだろうものを書ける。ただ書く気がまるで起きない。

俺は最近思う。ラブコメとはいったいどういう前提に成り立つものだったのか。俺は少なからず、それを数千年程度の歴史はあるものだと思いこんでいた節がある。しかしそれがもし。せいぜい数十年、なんだったらここ三十年のトレンドに過ぎないものだったならば?

まぁそれでもいいんだが、しかしやはり思うところはある。というのも、俺はそこになにか、真理に近いなにか感じていたからで、それが当世の政治的なんとかのようなまがい物であったならば、俺はいったいなにをしてきたんだろうと思う。元々実用から離れたものを構築するのがこのサイトの目的ではあったけれど、であればこそ、所詮当世のトレンドを具現化したものに過ぎなかったという結論になると、これはとてもつらい。

そうなんだろうか。よく、わからない。

これは三十代前半までだと、ピンとこない悩みであるかと思う。しかしそれを超えると、ある程度わかってもらえるかもしれない。死が脳裏をよぎりはじめるからだ。いや、死というのは本当は生まれてからずっとつきまとうものだった。それを忘れさせるのが現代だった。

死を直視する年齢は人によって、人生によって異なるのであろう。僕は最近になってようやく少し見え始めた。そうしたとき、ラブコメの見え方も確かに変わる。というより、自分が生きてきた世界の見え方が変わる。

漫画は娯楽だし、ラブコメというジャンルはその中でも最たるものだ。俺はできるだけ格好がつかないジャンルとしてこれを選んだ。それは良かったと思う。しかしそこには自分にたいして正直であることが求められた。

それが自分ではなく、当世の流行に過ぎなかったとなると、すこしばかりしんどくはある。

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