推しはいないけれど、ぼんやりとした帰属意識はある

この記事はいわゆる推し活についてのもので、2024年の暮れ頃に下書きを書いて、そのまま一年ほど放置していたことに、最近気付いたものだ。今読むと、あれからまた少し信条が変わっている気がする。なんだか最近、気持ちの変動が激しいね。更年期障害……?年の暮れになると物思いに耽ってしまうのだろうか。年中耽っている気もする。心持ちに変化を感じるとはいえ、ベースはそう変わらないと思うし、最近書いた記事と合わせて思うところがあったので、少し書き加えて記事をあげることにした。

推し活という言葉がトレンドになって久しい昨今、僕には特定の推しなるものはなく、また今後ももつことはないように思える。かつては特定の作品に入れ込むこともあったし、二次創作めいたこともしていたので、推し活する人の気持ちがまったく理解できないわけではないと思うのだけれど、だからこそ、今の自分がそういった熱情と遠いところにいることもよくわかる。

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推し活できない人

まぁ、元々の気質として、僕は特定の誰かに入れ込みづらいようだ。アイドルなんて昔から好きになったことがない。好きなバンドやミュージシャンはいても、好きなのは彼らの生み出す作品であって人間性ではない(知らない)。だから彼らが不祥事を起こしても特に何も感じず、引き続き作品については聴き続けてきたし、また彼らの作品がクラウドや店頭から消えるのはやり過ぎじゃないの、と思うことが多かった。高名な小説家に人生相談するのも意味がわからないと思っている。

つまり、作者と作品は別、とほぼ切り離して考えているのだが、完全に切り離せないことも知ってはいる。よくわかる例として、エッセイストなどはその人の人生が作品の一部であるから、エッセイと現実の人となりの乖離が大きいと、やはり作品のほうも楽しめなくなってしまう。実際昔は楽しめたけれど、今となっては読む気がしない作品はあり、それは漫画だとコミックエッセイジャンルに多い。

エッセイでなくても、あらゆる作品にそういう作者のパーソナリティを多分に反映したエッセイ的な要素はあるものだ。たとえばちびまる子ちゃんなどはかなりきわどいラインにある作品だろうし、一般的なファンタジー作品でも、キャラクターの言動の端々から、ふと作者の思念を感じ取ることはしばしばある。なんなら作者の顔が浮かんでしまうことすらある。まぁ、作品は無から生み出されるものではなく作者の脳内から紡がれるものだから、当然のことかもしれない。

で、僕は確かに誰か特定の作者に入れ込むことはないのだが、特定の作品に入れ込んでいた過去はある。掲示板でよく語っていたし、SSも書いていた。そして、作品と作者は完全に切り離せないものだから、僕にも誰かに入れ込む気質は決してゼロではないと言えるだろう。少なくとも、マイナス方向のことではあるが、読めなくなったエッセイ作品があることは事実だから、作者の人となりに僕もそれなりに影響を受けると言える。マイナス方向があるなら、プラス方向もあるだろう。

だから、僕は特定の人を推す、推し活する人の心情について、ある程度理解できると思うし、また共感性もあると思う。一方で、やはり事物である作品と人間たる作者(制作者)には大きな違いがあり、僕は今まで特定の「人」に入れ込んだことがないことも事実だ。

やはり僕には推し活をするには根本的に何か不足しているのだろう、という風に思える。この言葉が適切かはわからないが、信心が足りない、のだと思う僕には多分、人を心から信じるみたいなことが、できないのではないかな。

所属の意識はある

人を信じることができない僕は、組織も信じることができない。組織といえば会社のようなものを想像するかもしれないが、それは学校もそうだし、大きなものなら国家もそうだし、小さなものなら趣味のサークルも、家族だって一つの組織形態だ。あらゆる組織を根本的なところで信じられない僕は、それがどんな小さな仲間内であれ、帰属意識をもてない。多分、人間として社会的な何かが欠落しているんだろう。

しかしそんな僕にも、なんとなく「所属している」と感じられるものがある。

……という話だったのさ、ではなくて

……驚くべき(?)ことに、ここで記述が終わっていた。どこにも帰属できてないんだ……というのではなく、この続きに書こうとしていたことは、ある程度察せられる。恐らく、サイトを通じてジャンル全体に所属している意識があり、それをぼんやりした帰属意識……と言おうとしたのではないだろうか

書き始めると異常に長くなってしまうように思えて、いったん筆を置き、そのまま放置といういつものパターンだったのではないかと思われる(このサイトには下書きがそりゃもう大量に眠っておりましてね)。

多分、僕はここでこうしてサイトを運営し続けることで、ニッチながらもラブコメ漫画全体、特定の作品の読者、個人サイト管理人、レビュアーなど、いくつかの属性について、なんとなし界隈のようなものの輪郭が薄ぼんやりと見えており、その中にその身を置いているような感覚があるのだろう。この感覚は、けっこうわかってもらえるのではなかろうかと思っている。

ただ具体的な組織があるわけではないので、帰属意識というのは強すぎる感じがするので、なんとなく所属している、というような書き方をしたのであろう。この話は進めてしまうと沼で、書き始めると長くなってしまいそうだ。

また、この話にはもう一つ沼がある。

なんで人を信じられない奴が、ラブコメなんていう、人と人のつながりの最たるものについて傾倒しているのか

現実で人を信じられないからこそ、物語に求めているんだろう、と簡単にまとめてもよいかもしれないが、それは多分断定しすぎで、もっとニュアンスがあると思われる。まぁそんなことをつらつら書き始めると、これまた長文になってしまうだろうな。

沼がいくつか発見されましたというところで、今回はこのへんでおしまい、ということにしたい。つくづく妙ちくりんなサイトだね。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 自分はまず「推し」という概念が未だによく分かってないです。私自身は本質的に飽きっぽい性分でして、一瞬熱中した事はあっても何か特定の事物に長期間傾倒した経験がないので「推し」に共感出来ないせいではないかと思ってます。

    • 確かに、まずあれだけ熱中できるのがすごいというか。
      まぁ僕もそれなりに傾倒するほうだと思うのですが、距離感と方向性が違う感じはあります。
      複数ヒロインものでこのヒロイン推しくらいなら、萌えの概念に近いのもあって、割合わかるかなと思いますが。。

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