今さら何をか言わんや、のだめカンタービレ。2002年1巻、作・酒飲んでない二ノ宮知子。え……2002年?マジで?そんなだったっけ?
まぁ大昔読んでるんだけれど、最近クラシック好きの友人のマイリストをもらって、ずっと作業中クラシック聴いており、ふと思い出してまた読みたくなった。もう完全に内容を忘れており、覚えているのは千秋の鞄の持ち方が千秋持ちとどこぞで言われていたことと、のだめが「ギャボー!」と言っていたことくらいなので、ちょうどいいように思えた。
尚、うちの母は千秋のことは大好きだったが、のだめのことは「汚い!」と一刀両断していた。そんな母は漫画のヒーローにおいては千秋先輩と俺たちのS・K、工藤新一推しであった。今にして思うと彼らはまさに「平成のいい男」だったのかもしれない。
などとつらつら書きつつ1巻感想。今さら読み返して、いい『ラブコメ』だったんだな、と思った。少なくとも1巻はね。この先は覚えてない。
これはまさにラブコメ
最近思うのは、ラブコメってのはいったいいつから出てきたものなんだろう、ということだ。俺が自意識と呼ばれているものを持ち始めたと推測される頃に既にそのジャンルはあったように思われるけれど、その歴史はだいぶ浅いのではなかろうか、という気がする。つまり、ラブコメとは昭和の終わりないし中頃から平成にかけてのトレンドに過ぎなかったのではないか。俺はただその時代に青春を過ごしただけじゃないのか。
ということをこの記事で言いたいわけではなく、今さら読み返して、この超有名作「のだめカンタービレ!」は、実に『ラブコメ』だったんだなぁ、なんてことを思った。そしてこれは男と女のまさに均衡点であったようにも思う。
1巻時点においては、鼻持ちならない俺様・千秋とゴミ女・のだめの邂逅と、地味に重要キャラであるヴァイオリン・バカこと峰くんが出てくる。そしてオッサンになると実は印象深いのはこの峰くんであり、かつ今になって読むと彼の重要性が痛いほどよくわかる。彼がいるからこそ鼻持ちならない天才イケメン・千秋くんもまた愛らしい青年に見えるし、ゴミ女・のだめとの仲もまた応援しうるものになる。
男と男が絡むことで、その男女の仲がよりよく見える。不思議なことに、ラブコメとはそういうものなのだと思う。そしてそれをスナック菓子感覚でやってのけるのが俺たちの高津カリノだった。しかし高津カリノはあまりにもオタク文脈に過ぎて人口に膾炙する点で限界があった。その壁を超えたのが本作、のだめカンタービレ。本作こそまさにザ・ラブコメというべきものであったように、今となっては思う。
……1巻読み返した時点ではね。この先どうなるのかはあんまり覚えていないんだよなぁ。最後まで読んでいるはずなんだけどねぇ。
1巻は峰くんだった
これが個人的にとても面白いことなのだけれど、1巻を読んで思ったのは、これは峰くんの話だ、ということだった。天才・千秋先輩がハリセンと喧嘩してなんだか学内で地位が落ちたことも、同じく天才・のだめがギャボーしていることも、今にして読むと所詮才あるものたちの戯れに見える。
それに対して峰くんは……いや、峰くんも間違いなく才あるもので、少なくとも2020年代ならYouTubeで人気ヴァイオリニストとしてバズれる逸材だと思う。しかし2002年1巻の本作、ITバブル、イット革命、日本は神の国だったあの時代において、峰くんは他者から認められる術をもたない中途半端な才能だっただろう。その彼が、のだめと、そして千秋と出会うことで、今一度クラシックの世界に本気で身を投じる様は、オッサンになった今だからこそときめかされるものがある。
そしてその彼の姿が、面白いことに、千秋とのだめの関係に興味を抱かせている。正直峰くんなしで千秋とのだめは1巻時点でラブコメ的に特筆すべきことは何もない。しかし、峰くんがいることで、峰くんを通じることで、ラブコメとしても千秋とのだめの関係が輝いている。なにより、のだめと千秋のキャラクター自身が輝いて見える。峰くんがいなければ、千秋はちょっと一時的に挫折している鼻持ちならない天才イケメンに過ぎなかったし、のだめは二次元だから許されるゴミ女だった。1巻でのだめを可愛いと評しているのは峰くんだけだ。
ラブコメはすべてを輝かせる
ラブコメってこういうものだよなと思う。ラブコメは関係性であり、その関係性の中で、全員を引き立てる。そしてそれは、平成の生み出した浪漫だったのかなぁ、なんてことを最近は思いつつも、懐かしくも新しく(なにしろすべて忘れている)のだめについては読み返していきたい。
全然関係ないけど、友人のマイリストでよく聞いてるのこれ。割と新しいけどね。やっぱり俺はロックだぜ〜。


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