この前記事にした見える子ちゃんは、ちょっとした百合要素がある。といっても主人公にそういう気質はなさそうなので、それ目当てに読むと肩透かしかもしれない。とはいえ主要キャラの一人が微百合っぽいので、まったく期待できないことはなく、ちょっと濃い友情くらいの展開はあるのではなかろうか。多分。
このように百合キャラというべきサブキャラは、ラブコメや美少女主体の漫画ではよくある。最近はもう定番の一つだろうか。
自分は百合について特別好きではないものの、嫌いということもない。しかし、ラブコメを読んでいれば百合はよく出てくる要素の一つのため百合キャラはよく目にするのだが、モヤッとすることはちょくちょくある。見える子ちゃんはうまいところでバランスを取っている漫画だと思うが、それだけにいかにも微妙なところが見て取れたように思われたので、この機会に取り上げてみたい。
以下、あくまで百合漫画ではない漫画の百合についての話ではあるんだけれど、おもいっきり見える子ちゃん3巻までのネタバレは含まれているのでよろしく。
サービスとしての百合
まず前回書いた見える子ちゃんの記事は以下だが、記事を読んでも百合については「そういうベクトルもあるよ」程度でほぼ触れていない。実際本筋ではないと思うし、読者サービス以上ではないように思われた。

この読者サービスという言い方に、僕のバイアスが感じられる。つまりここで僕は、百合を必然的な関係というより、特に不要な下着シーンやハプニングエロスと同じようなカテゴリに入れている。喜ぶ人は喜ぶし、それで繋ぎ止められる読者もいるのだろう、程度の感じだ。
もちろん常にそうではなく、官能が主題の作品においてエロスはただのサービスではないのと同じように、百合がテーマになっている作品の百合は必然そのもの。そこまでいかずとも、性的な描写が作品のコアの一つであったり、また大きな魅力であったりする作品は多く、同じように百合の関係が作品の根幹に深く食い込んでいるものもある。
しかし一方で、雑に「乳尻太もも見せとけばいいでしょ」と言わんばかりの雑なエロがあるように、「とりあえず女の子同士チュッチュしてればいいでしょ」と言わんばかりの雑な百合もある。作品の展開に必要があるわけではないが、好きな人には刺さるだろう、というようなものなので、まぁ読者サービスという表現はよく出来た表現だと思う。
他にも「サービス」という側面の強い関係はあって、たとえば物語上存在の必要性すら疑問な「雑なブラコン妹」などは覚えのある諸兄も多いはずだ。むしろラブコメ界隈でもっとも多い雑な関係性が兄妹かもしれない。その割にガッツリ兄妹もののラブコメは存外少なく、近親モノの難しさを感じさせる。
その意味では百合も本質的に近親と似た悩みを抱えたジャンルだろう。そもそも必ずしもガチを求められていない。実際、兄妹ものなんか「本当にくっつくと引く」人は多い。その結果、ガチらない程度のヌルい関係のほうが需要が高いのかもしれない。エロだって「ガチで濡れ場入ったら引く」という人は多い。
なければないでいいけど、あったら嬉しい副菜、あるいはスパイス、そういった立ち位置のものとして、ヌルいエロ、近親、百合などはラブコメにしばしばサービスとして投入される。
見える子ちゃん3巻のお話
副菜にせよスパイスにせよ、作品を引き立てているならいいじゃないと思われるが、塩を入れすぎて台無し、というリスクもある。エロもあまり過ぎると、場合によってはヒロインの魅力自体が落ちる。兄妹関係ガチれば、それはもはやメインだ。
そのような感じで、個人的に失敗したサービスと感じられる百合はある。よくあるのは、男なら当然許されないことを、まるで男のような気持ちをもってヒロインに対してやり、かつ同性なので何の制裁もない、というような時なんかは、作品によってはモヤモヤする。あと男に対して一方的な攻撃を加えるなどもありがち(これはハーレム系作品だと反転フラグのことも多い)。
その点でいくと、見える子ちゃんの百合要素は抑制がきいていると思う。恐らく実際恋愛感情とまでいかない程度、しかしいかにも一線を超えそうな危うさがほのめかされる程度だ。これだけではなく、エロ要素も、姉弟要素も、メインであるホラーと美少女を引き立てる程度で、あらゆる要素が行き過ぎない程度にバランスとれているように思う。初期については、エロ方面もやや強かったが、割とすぐに抑制された。
それだけに、微妙な風味でちょっと気になったシーンがある。見える子ちゃん3巻、主人公のみこが先生を誤解していた、本作の空気感が特に変わる話でもある。詳細は省くが、先生の背後にいる禍々しいものを見て先生が猫に危害を加えようとしていると誤解し、先生から猫を逃がそうとしたが、実は先生は猫を保護しようとしていた。しかも、その結果として直接的ではないにせよ先生に怪我を負わせてしまったという筋。
これは、見えないものがみえているみこは、本当に大事なものを見ていなかった、という話だ。責任を感じたみこは、リスクを背負って先生に取り憑く禍々しいモノと対峙し、今までの無視から一転した態度を見せるという成長物語でもある。
これが本筋で、別にどうということはないのだけれど、この時、入院した先生をお見舞いに行ったみこを追いかける形で、友人二人が病室に乗り込んでくるシーンがあり、そこに少し思うところがあった。みこの友人・ハナが、怪我人の先生に向かってこういうのである。
先生!大丈夫そうでよかったけど……気をつけてください!
ネコ守るのは立派だけど……生徒の前で死んじゃダメ!
先生が事故ってからみこ元気ないし……たまたま現場にいただけなのにトラウマになったらどうするんですか
このセリフの解釈はけっこう幅があると思う。まず前提として、ハナはみこの誤解が発端となった経緯を知らない。ハナからすると、みこは理不尽に責任を感じているように見える。また、先生は生徒であるハナの名前も覚えていないくらいだし、先生・生徒としての信頼関係もない。
まぁ客観的に見て入院中の人に向かって言うことではないが、高校生という年齢と、弱っている友人を心配しての行為ということ、また一応先生に対する気遣いの言葉も入っていることなどを総合的に考えれば、ハナの態度は高校生らしい直截さと未熟さ、くらいの話かなと思う。また、先生に憑く子たちが消えたのは、恐らくはハナのオーラ?の力では、という示唆もある。結果オーライ。これは本作のバランスの中にある。
百合キャラのお仕事
しかし一方で、メタ的な話になるが、ここで思ったのは、「百合キャラって全肯定なんだよなぁ」ということだった。ハナはいわゆる百合キャラといってよい立ち位置で、常に主人公の味方としての役割を担うが、しばしば無条件の肯定を伴う。これは百合スパイスが強すぎるパターンの一つだ。ただでさえヒロインはどちらかというと世界に寵愛されているのに、この全肯定キャラが入ることで人間関係のバランスブレイクなどもしばしばある。もっとも、本作の主人公・みこは普段そこそこ悲惨な目に遭っているので、普段はハナの全肯定スタイルも特に気にならない。
が、この先生の話については、まず主人公・みこの誤解に発端がある。ハナからは見えないにせよ、読者からはそれが見える。なので、あの瞬間に限って言えば、全肯定スタイルはやや行き過ぎ、香味がやや鼻につく感じがした。
あくまで、これまで散々漫画を読んできたことから作られた僕のセンサが反応したものではある。一方で、そこには確かに、ややききすぎた香味があった。また作品全体のバランスが取れているからこそ、その微妙なところが気になったとも言える。
描かれないことによって描かれる世界
僕がこの時本当に気になったのは、世界に寵愛された彼女たちではなく、それと対比するように、あまり世界に愛されていないように見えた先生のことだろうと思う。だがそれも作品の中では、みこたちの働きによってプラスの方向にいく。結果オーライ。オーライだが。
つまり、これは極めて微妙なところなのだが、僕は百合という関係について何か思うというより、百合が描かれることによって、その対比となるように百合の世界には入れない性別について思う。そしてその不在に或る種の正当性を感じる。それはきっと、本質的に疎外される性なのだろう。そういう正当性を感じる一方で、それは僕が公的に教わってきたことと矛盾もある。僕は己の人生の中で、なんとなく、高い感度で、その違和が気になるようになってしまったのだろうと思う。
誤解されそうだから野暮と思いつつ明言するなら、僕はこの違和について批判しているのでも悩んでいるのでもなく、むしろある程度納得している。ここ何十年のトレンドではなく、もっと大きな流れ、人間社会、種族、雌雄、生物、そういったものが少しながら感じられている気がする。漫画というのは当世のトレンドの産物かもしれないけれど、トレンドになるだけとらわれず、ものを見ていきたいと、ただそう思っている。


コメント
コメント一覧 (2件)
ここほんと分かります。
『男なら当然許されないことを、まるで男のような気持ちをもってヒロインに対してやり、かつ同性なので何の制裁もない』
百合の意味がないし、ある意味男以上に露骨に男の性欲を感じるという。
セクハラ系無敵百合はヘイトを買いがちだと思うんですけれど、
暴力系ツンデレヒロインも絶滅危惧種になりつつある中で、未だに見る気がします。
まぁ好き好きといわれればそうなんですが。