なんかこんなんTLに流れてきて。
韓国の同人界隈を壊滅させた「気に入らないファンダムを通報する」というイベント妨害の顛末、嫉妬と逆恨みの応酬で修羅場になってて色々と身につまされる - Togetter
ファンダムってなに?と思ったけど日本語でいうところの界隈に近い感じなのかしら。法的な問題や文化的素地の前提が日本よりも厳しめの韓国で、気に入らない界隈を著作権とか猥褻物なんとかを棒にして叩きまくってたら復讐が復讐を呼び仁義なき戦い勃発、そして誰もいなくなった、という感じらしい。
そういえばかつてネットを震撼させた生首ヒロインのギャルゲーは韓国だった記憶だが、ああいうゲームが出てきた背景には肌色規制という社会的背景はあったんだろうと思う。キリスト教系が強いし、社会全体として、性的なのに厳しいんかねぇ。是非とも実態を当事者の人に聞いてみたいところ。
しかしこういうの見ると、僕らが当たり前のように享受している文化は決して当たり前のことではなくて、先人たちの積み上げてきた社会的・文化的な醸成のうえに結実しているものなんだなぁ、と再認識する。そしてそれはいつでも容易に破壊できるんだなぁ、と。
実際のところ、これは各々のパワーバランス、なんやね。別になにか完全に正しい考え方があるわけじゃない。たとえば、僕はえっちなのは全然いいと思いますってか何がダメなのか全然わからんマジで、という感じではあるけれど、そう思わない人が多くいることはわかる。なのでエッチなのは今ちょっと厳しい世情にあるよね。でもだからといって、そこで表現の自由を持ち出すことは、裁判所ではない現実の世界においてはあんまりいいことではない、と思う。
というのも、表現の自由なんか不要だ!と思っている人はまずいないからだ。そもそも表現の自由は当然大事だと思っている相手に、「表現の自由だ!」といっても、それは響かないし、不当に自由主義を否定しているように扱われて侮辱的だ、と捉えられるかもしれない。
「表現の自由を本当に大事にしているなら、性的な表現に反対するのはおかしい!」と思う向きもあるだろう。でも、そういう人でも「日の丸燃やしまーす」と言われれば心中穏やかではなかったりする。自分はそうではなかったとしても、そういう反応の人は覚えがあるだろう。そんなもんだよ。
これは法律云々の話じゃない。ヘイトスピーチは自由に入らない、というのも社会的にそう取り決めたというだけで、原理的な話ではない。エロにせよ国旗大炎上にせよヘイトスピーチにせよ、これらは原理的には表現の自由に入る。ただ表現の自由があるということは非難されない理由になるわけではない。
原理的には「気に入らないものには気に入らないという自由がある」、というのが回答になる。しかしこれはなかなかの修羅であるし、そもそも論としてそんな万人の万人による万人に対する論争みたいなことをしてまで、表現の自由を守る意味とは何だろう?もちろん表現の自由が、自由において根源的な概念で重要なのは言うまでも無い。言うまでも無いけどさぁ。
僕らが大切にする価値は自由以外にもたくさんある。平等、公平、秩序、清廉、規律、そういったものを求める向きはあり、別にそれらが自由より劣っているということはない(勝っているわけでもない)。その具体的実践は、しばしば自由と対立する。
実際、国旗国歌やヘイトスピーチ規制はそういった概念によって成り立つものと言える。ただこれは主に西側諸国のお国事情に思えるが、なんでもかんでも自由の枠にはめないと正当化できないのか、「自由を守るために自由を規制する」みたいな一行矛盾コンテストが世情のトレンドで、互いに自由の名の下に相手の自由を攻撃し合うというわけのわからんことになっている今日この頃だ。
絶対的に正しいものはない、といえばだいたい皆そりゃそうだとなると思うけれど、それは自由とか平等とかそういった崇高な理念にも適用される。僕らは色々なものを、それぞれそれなりに大切にしていて、ただその大切の仕方は人それぞれ違う。だから綱引きが発生する。引き合っているくらいがちょうどよいんだな。どちらか片方がぶっ倒れて、そこに追い打ちをかけるようになってしまうと、それは社会の崩壊とうつる。
そうならないようにしたいね。

コメント
コメント一覧 (2件)
いや~乱世乱世。お国柄もあるのでしょうが、同人文化が絶妙なバランスの上に成り立っている事を改めて考えさせられます。
表現の自由はあるものの、かといって訴えられなければ何をしても良いという訳でもない。どうか日本は同じ轍を踏まないで欲しいものです。
乱世ですねぇ。
僕自身は自由主義なので表現の自由自体はよくわかるんですけれど、
同人はそういう西洋的な自由主義とは全然違う世界観で培われた、日本的なものだと思うんですよね。
この文化は大事にしたいとほんと思います。