『餓鬼』全2巻感想:金と憎悪と幼馴染のレクイエム

作・まさかのちばてつや。1970年の作品ということで、本サイトで取り上げた中でぶっちぎりの古い作品となりました。

ちばてつやといえばあしたのジョー。なんでラブコメを崇める本サイトでちばてつやなのかという話なのだが、一応あしたのジョーにもヒロイン力石葉子さんがいるし、別に範囲外ということもない。

というか思い出したきっかけはsuicaのペンギンがリストラされるという話だ。次にくるのがテッペイときき、「テッペイ……?どっかで聞いたような響きだ……テッペイ……鉄平……ちばてつやのおれは鉄平!!」となり、俺ぐらいになるとむさ苦しい男しか出ない剣道漫画の「おれは鉄平」すらラブコメと思えるのだ。実際、vs東大寺における心の通じ合いなどは完全にラブコメだと思うなどと意味不明な供述をし……。

……で、なぜかちばてつやつながりで本作を再読したのだが……30巻続いたおれは鉄平と違って、今回取り上げる餓鬼は全2巻、それもそのはず、めちゃくちゃ暗い話。しかしちゃんとヒロインなるものもいるので、これはもう完全にラブコメ

男だけでもラブコメなら男と女がいたら完全にラブコメの以下全2巻感想。大丈夫、みんな大好き幼馴染ものだよ。そしてみんな大好き(?)悲恋(?)だよ。

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クズんなってGO

いちいち言うのも野暮なんだが、ここまできた時点でネタバレなるものは気にしない、というのは当然の掟なのだが、わざわざ言葉にするんだから俺もなんだか丸くなったんだろうか。

まぁそれはいいとして、本作は基本的にクズがクズんなって死ぬというそれだけの話だ。どうしたって20巻や30巻にならない、せいぜい深夜に流れる90分の映画といったところだろう。なんなら60分かもしれん。

主人公についていえば、かなり同情すべき点はある。しかし、そのために幾人もの無辜の民が死んだりしているので、クズとしか言えんのだね。実際、本作は主人公が同情されないような描かれ方をしていると思う。

具体的には、両親と家畜をダムに沈められた少年が、その補償として莫大な金を国からもらうのだけれど、そのためにその資産を狙って村人たちから狙われ、不幸に身を落としていく、という救われない話だ。

少年は、その資産を狙う地主、の娘……実は少年のことを好いていた娘……に言われて、村を出るのだが、その際に村人から追い詰められる。記憶を失うも、徹底的な人間不信だけは心のしこりとして残り、その後は健康で若い体と怖いもの知らずのメンタルにものを言わせて悪行三昧、何人かの死傷者まで出しながら、警察に追い詰められていく。

まさかの再会型幼馴染ストーリー

その過程で、かつて少年を村から脱出するように進言した成長した娘と出会う。まぁこの入り口と出口に娘の絡むところがボーイ・ミーツ・ガールといえばそうかもしれないんだが、冷静に考えると出会ったとは言えないので違うか。そんなら再会系幼馴染ってことで。

ってことで、急死に一生を得たところでその娘に助けられ、かつて後にした故郷へと再び向かうのだけれど、罪深いことにその道中でも人を一人殺している。つまり、主人公のみならずヒロイン(?)もまた人を殺めるのに手を貸しているといえる。正直これはまったく全然同情できるものではなくて、社会的には悪としか言いようがない。

悪としか言いようがない一方で、本作で描かれていない労苦をこのヒロインもまた背負っているのだろう、とは察せられ、主人公がそうであるように、彼女もまた、社会に対する復讐とまでは言わずとも、社会を構成する民全体に対して、うっすら敵愾心に近いものは持っていたのかもしれない。

というよりは、彼女は主人公の罪について、自分の罪でもある、という風に感じていたのだろう。まぁそれは無辜の民を殺していい理由にはならないんだが……。

彼女がそうまでして見せたかったものは、主人公のかつての故郷の村の荒れ果てた姿だ。主人公の残した金を求めて疑心暗鬼になり、殺傷まで犯している村人たちの姿だ。そしてその村人たちのぎょろついた姿こそが、表題である餓鬼であった

……まぁ色々と思うところはあるにせよ、この論でいくと悪いこの女じゃね?という気持ちは正直芽生える。また、子供の時に主人公を思うが故に、村の外に出ろと唆したところまではわかるにせよ、大人になった彼女が、人を殺めてまで村の姿を見せようとしたのは単なるエゴ以外のなにものでもない

……となるので、ここで解釈として、幼少期に傷ついたのは主人公だけではなく、彼を想った彼女もまたそうで、本質的に壊れたのだろう、という解釈になる。警察官にせよ医者にせよ、彼らにとってそれは社会の象徴だったのだろう。

そして最後、村人たちの姿を見届けたあと、両親の位牌を手に、憎き札束と共に焼かれる主人公を、虚無の心で見届ける彼女の先が描かれることはない。この物語は、金に翻弄された主人公が、金と共に灰になって終わり。それだけだ。

つまり本作は、主人公もヒロインも同情させる要素はありながら、しかしその過程を思うと「クズどものレクイエム」になってしまう

クズ物語なのに……

一方で、そうでありながら、その最期を見届けるとどうしても何か思わずにはいられない。この感覚は、映画「明日に向かって撃て」(1969年……近い、そういう時代だったのだろうか)のラストシーンなんかに近いかもしれない。いまさらあの映画を見る人もいないだろうし、ラストシーンのYouTube動画だけ貼っておこう。

この動画にある以下のコメントは、僕が非常に感心させられたものだ。

単にクズが現実逃避を続けて死んだだけの作品なのに(最後も目の前の現実と乖離した話をしている。)、胸を締め付けられるのはなぜだろう。

俺はこのコメントを読んだことによって、この映画をずっと心に留められるようになった気がする。そういうことはある。まぁうちのサイトがそうだってんじゃないんだが……。しかし当たり前だが、制作者が言葉にするのは野暮にすぎる。それは言葉にするのは、通りすがりの誰かの役割なんだろう。

書いてないことが真実だ

しかしまぁ、言葉にできることは所詮言葉にできることだ。先のコメントも、この感情は名状し難い、と述べているだけで、その詳細を述べているわけではない。実際そうなんだ。どこまでもただ、感じていることだけが真実だと思う。

言葉にできない感情だけが尊い。じゃあ言葉で構成されるこのサイトはいったいなんなのか?書いてないことを読んでくれ。頼むよ。

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