特定CPの純愛以外を一度でも考えたものは邪教の異端者

ゆえに、異端審問にかけられる。

……というと、多くの人は意味不明に感じられると思うのだけれど、実際こういう文化は一部あった。

俺がそういうの見てたときだから、もう10年いや15年くらい前か(遠い目)。狭いコミュニティだと今もあるかもね。

本命CP純愛以外絶許の類の主張をどこで目にしたか、その記憶はもはや定かではないのだけれど、複数で見た記憶はある。確か二次創作系の小説を書き寄る掲示板のスレッド(2ちゃん?)と、あとは何かしら作品について語るようなところ(ふたばかなぁ?)、とか、まぁそういうところだったか。

昔の掲示板はアカウントとかもないから、基本が仮面舞踏会故に、なんだか色々な本音も噴出しやすかったんだろうなぁ。つっても、みんな楽しみで来ていたわけだから、基本的には平和なんだけれど、一触即発というか、ピリッとなる話題はそりゃあった

火薬庫の一つは、想像つくだろうがカップリングの話だ。作品内で明確に決まっていることが明確なものであればともかく、それ以外はかなり気を遣う。しかし、それは明確だからある意味分かりやすくてよい。

問題は、作品内でどちらとも言えない、決まっていない、ぼかされた、それぞれシナリオあり、みたいな感じで、これはちょっといやだいぶ対立の火種だった。かといって腫れ物のように触らないのも不自然だし、そもそもそれについて話したくて仕方が無い人たちが集まっているわけでね。っていうかぶっちゃけそれを一番話したいまである。ってか絶対誰か話すから。

それはみんなわかっているし、自分はこのCPが好きでねぇっていうだけなら大して問題にならない。が、このCPが正史なのは言うまでもないですが、みたいな感じを出すと、おいちょっと待て、となる。今はどうか知らないけれど、少なくとも当時そのCPが「公式かどうか」ということは非常に重視された。実際、たとえ明確にくっつかなくても、多くのファンから「まぁそうだよね」と認められれば、扱いもそのようになるので、正統を求めるのは実利的にも合理性があったのかもしれない。

正統の裏には異端がある

カップリング戦争的な文脈もあったと思うが、対立陣営には制裁を!とまではいかずとも(できないし)、なんとなく線みたいなものはあった。複数ヒロインいる作品だと、それぞれの場所で当然とされるCPが異なるのは暗黙の了解だ。それ自体はそりゃそうだ、かもしれないのだが、掛け持ちしていることを言うのは歓迎されない向きがあった。

つまり、A×BもA×Cもいいよね、みたいな奴は異端者の嫌疑をかけられる

A×Bを好む者には、A×Cの存在自体が許し難いという人も珍しくない。だからといって、直接Cの悪口を言うのはたいてい憚られる(たいていは……ね)。しかし、CがA×Bを応援する設定や、C×Dという新たなるCPの設定の採用、これは悪口ではないし、別CPに至ってはただの別ジャンルなので、何も問題はない。

しかし、本気でその設定を気に入っている人もいる一方で、A×Bシナリオを揺るぎなくするために愛好するものも正直いる。そういうことはなんとなくわかるもので、事実上のCに対する悪意だと解釈して憤慨するA×C派などもいる。

そういう厄介な世界だから、その中でどっちもいいよね、なんて迂闊に呟けば火あぶりに遭いかねない危険性はあった

さらにこの価値観は、何でもありに思われるエロの世界にも拡張される。というかむしろそっちのほうが排他的かつ対立する厄介な要素があり、たとえば純愛派と鬼畜派の間には深い断絶がある。まぁ鬼畜派というか、だいたいは鬼畜もイケるよっていう人だったと思うんだが、確かに純愛は無理なんだという人もいたな。鬼畜はそのキャラが嫌いだから書くのだと信じている者も見られ、昔見た時はそりゃ偏見だと思ったが、今にして思うと、確かにネガティブな感情を創作にぶつけていた人はいたように思える。

で、先のカップリング問題とエロ問題は合体魔法で、場合によってはメドローアが発生する(年代を限定するたとえ)。火あぶりが比喩ではなく本当にあぶられる。同人が火であぶられる

いや、明確な記憶じゃないんだが……同志と信じていた人が違うシチュを書いたことにショックを受けて、「買った同人全部燃やした」みたいなことを言っている人がいたんだ。

なそ
にん

まぁ確か、さすがにそりゃちょっと過激過ぎる、と窘められていたようにも記憶するが……。

それで色々聞いてみると「一度でも脳に別シチュが浮かんだ時点で、その人の作品はすべて汚れている」のようなことを言っていて、これはさすがにその場に人たちは震えていたと思う。

この主張はさすがに極端にせよ、ベクトルとしてこういう向きはあり、「別のCPを書いてはいけない」はもちろん、「純愛以外を書いたことがある人のものは純愛と認められない」といった旨の発言も別所で見た。僕ですらどこぞに小説投稿した際に「あの作品の作者ではないよね?」と確認された覚えがある(投稿は無記名で、誰が誰だかわからないため)。

当時は馬鹿げていると思ったし、今もそりゃ生きづらい考え方だと思うことは変わらんね。ただ色々と感想記事を書きまくって思うことは、作品の解釈というのは、どこかその作品を生んだ人の魂と自分の魂を共鳴させるようなところがある。僕はかなり作者と作品を切り離して考えるタイプではあるのだけれど、それでも書き手についてまったく考えていないとは言わない。

そうすると、極論ではあったかもしれないけれど、彼の主張にも一理あったのかなぁ、と最近は思う。もちろん、僕らが解釈するのは作品であって作者ではない、のは今もポリシーとして変わらないけれど、作品を通じて見えるような気がする作者の魂、みたいなものは、そりゃあるんじゃないかね。

だからといって燃やす(物理)ことはなかろうに、と思うが、いつの時代も情念とはそのようなものかもしれない。

この正統と純潔に対する希求は本能と言うべきもので、受け継がれるようなものではなく、人生の中で突然パッシブスキルとして発現し獲得する類のもののように思われる。故にどこにでも敬虔なる信徒はいる。少なくとも、見た目の形は変わっていたとしても、本質的に同質のことは今も各コミュニティ内部で発生しているだろう、とは断言できる

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コメント

コメント一覧 (4件)

  • いい記事ですね!
    これって宗教用語で説明するのが一番しっくりくる話ですよね。つまり宗教的な話なんでしょう。きっと人間の本性にかかわることです。
    自分は本を火にかけたことはありませんが、気持ちがよく理解できます。解釈違いのページを破り捨てて自作改訂稿を差し込むくらいのことはやったことがあります。今から思えばバカみたいですが、心の安定に必要な儀式でした。きっとまたいつかやるのでしょう。
    「転向」した人にはどうしても冷ややかな目になってしまいます。というのも、特定のカップリングを好きになるのは自分の意志でどうこうできない部分が大きくて、能動的にコントロールできるものではない、天啓のようなものですね。だから転向するということは、神を捨てるも同然なわけです。そう簡単にできるものではない。それまでの自分を捨てて生まれ変わるようなものです。今まで信じてきた神への祈り…同人誌を集めたりpixivを巡回して、そのカップリングに向き合ってきた時間と労力、想い…が間違っていたということを受け入れることになるので、そうとうな実存的苦悩に苛まれるはずなのです。ということで、鞍替えした人には、「彼/彼女にはもともと信仰(愛)がなかったのだ」あるいは「かつての彼/彼女はもういない」という帰結になってしまうのです。
    別CPや複数CPを書くのは自由ですが、それは1つのCPに尽くす者とは本質的に別の営みをしているのだ、同じ祈りの言葉を口にしていても、肝心の神への帰依が欠けている、と心の中で一線を引いてしまうことになります。
    無関係の人にとってはたかが趣味の話なのでしょうが、当事者にとっては魂を賭けた闘争です。はたから見れば滑稽ですが。これも本当の宗教と同じですね。
    まあ、私はA×B前提のA×Cなら許容かな、という穏健派なので、コミュニティの中で共存できるのが一番だと思います。結局は己との戦いです。
    すいません、普段私がもっている問題意識に近かったので長文を送ってしまいました。
    このへんの話題が分かる人を集めて談義とかしてみたいものです。

    • コメントありがとうございます。
      これは宗教ですねぇ。魂の領域の話だと思います。
      自作の差し込みはすごいw
      強い想いは表にも裏にも一体で、僕も強い負の感情が表出したことはそりゃありますねぇ……。

      費やしてきたもの、やらないことで捨て去ってきた可能性の積み重ねが、やめるにはあまりにも大きすぎる、というのはあらゆることに言えるかもしれません。
      実際僕がいまさらブログをやめられない理由でもあるなぁと。
      気がつくと、もはや自分の一部というべきものになっているんですね。
      カジュアルなお気に入りとしての楽しみ方もありますが、それとは一線を画した領域があり、そこに引きずり込まれると色々な意味で取り返しがつかないw

      僕はCPに限らずなんですが、関係の中に、何か不変で絶対な何かを見ようとしているところがあり、この心情の源泉には何かどろっとしたものがあるように感じます。

      エヴァなどは最後何か公式に断ち切られたような感じがしましたが、感想を見ると実際、魂の叫びというべきものがありましたねぇ。作品よりその感想のほうが僕は心打たれました笑
      確かにわかる人にしかわからない話ですが、本質的には今も共通する話に思えますし、話せる人はけっこういる、というか場が失われて皆さん彷徨っているのかもしれません。

      • 不変で永遠な何かは確実にありますね。
        それを見失ったときに自分は死ぬのだと思っています。少なくとも魂は。私は生きていることを確かめるためにラブコメや同人誌を読んでいます。
        好きなものを生きがいにしている、というのはちょっと違う気がします。もう少し切実で滑稽な感じですね。その点が宗教的な感じがします。生きていくこととそれを希求することが癒着しているような。
        私はエヴァはそこまで入れ込んでいませんでしたが…自分の中では旧劇場版で終わったことにしました。

        • 切実で滑稽、は言いえ妙ですね。業の深い世界でございます。
          僕にとって解釈とは作品と自分を繋ぐ光路を見出す行為、というようなことを記事に書いていたりしますが、
          なぜそんなしんどいことをするのか、といえば、そうすることで存在を確認しようといているのかもしれません。
          なんでも続けていると、一体というか、繋がっていくような感じはありますねぇ……。

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