まだ少し自分の感性を信じて、ありのまま気楽に書きたい

先月読んだ漫画を見ると、懐古趣味とマイナー漫画をいくつかという感じでちょっと自分でも驚いたのだけれど、実は最近のもポチってはいる。ポチったまま積んでいる。漫画アプリは開くこともなくなった。

読みたいという気持ちはあるのだけれど、それが出来ていないのは、なまじっかこんなサイトやっているからだろうと思う。読んだ以上は書かないといけない、という気分がある。

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書く気分じゃない時

別に誰に強いられているわけでもないのだから、書きたければ書けばいいし、書きたくなければ書かなければいいじゃないか、と思う。そりゃそうだ。至極真っ当。ただ経験として、もっとも書ける時は初読の後だ。しっかりとまとめたレビューに近い体裁を整える時にはその限りではないのだけれど、ラフに感想記事を書くなら、鮮度が大事、というのは実際ある。

それで、読む時には常に書くことを考えてしまう。結果、「今は読む気分じゃない」というより「今は書く気分じゃない」ということが往々にして起きる。まぁその結果として、積ん読になる。そうでなくても積むのに。

感性の問題

もう一つ、積ん読しがちな理由として、「何も感じなかったらどうしよう」という不安がある。これはあまり理解されないかもしれない。作品を読んで何かを感じられるかは、最終的に受け手である自分による。したがって、自分のコンディション次第では本来楽しめるものも楽しめなくなる。これはお腹が痛いときにはどんなご馳走も食べる気にならないのと原理的に同じことだ。ただ腹痛と違って、物理的な痛みを伴っているわけではないから、わかりづらさがある。

感性は死んではいない、ので

まぁ正直、本当にしんどい時は何をやっても楽しめないものだ。しかし一方で、ある程度の気力があれば、いざ読み始めるとすっと入り込める、ということも往々にしてある。そして特に意識するでもなく、「ああこれを書こう」とごく自然に思えたりする。

ちょうど昨日のディーふらぐ!の記事なんかは久しぶりにそういう感覚があって、そういえば僕は書きたいから書いていたのだなぁと、当たり前のことを思い出したりした

同時に、自分の感性も別に死んだわけではないことを確認した。

これは歳をとるとわかることだけれど、いつまでも昔のようにサブカルは楽しめない、という現実上の問題がある。これは正確には「同じようには」楽しめないというべきもので、本当に楽しめなくなるわけではないと思う。僕は作品、あるいは文化との距離感が変わる、という風に解釈している。

自分も変わるし、作品も文化も変わる。その変化に無自覚でいると、或る日突然全然違うことにはたと気づき呆然とすることになる(だいたい35歳くらいでこの症状に陥る人が散見される)。で、そのままいわゆる「卒業」なんてことになったりもする。

幸か不幸か、僕はひたすらこんなブログでしょうもないことを書き続けてきたため、変化については知らず知らずのうちに観察していたように思う。もとより内省的な性格であったし、また記事をかくうえではかなり分析的な見方をするので、自分の変化も、そして社会の変化も、なんとなく察せられた。

その感覚から言って、僕の感性が死んだわけではあるまい、と理屈の上では思っていたのだけれど、そうは言っても特に最近はなんともメタ的な読み方が多くなっていたので、ちょっと心配になっていたのがある。

まぁでも、こうして気分よく書けたから、やはり出会いの問題なのだと思われた。ただまぁ、昔よりはやっぱり、面倒臭い感じになっちゃってるのかな、とも思うけれど。

ありのままに気楽に

そのうえで思ったことは、まぁ、もうちょっと気楽に書きたいな、ということだった。僕はどうしても書きすぎるきらいがある。この記事もそうなんだけれど。

僕が参考にしているブログの中には、非常に気楽なものもある。或るブログは毎日更新を続けているけれど、時にはYouTubeで気に入った動画を貼るだけ、なんて日もある。そうかと思えばのっぴきならない現場の事情について、短編小説かのように細かく書いていることもある。この、ありのままというべきスタンスを僕はいつも見習いたい、と思うのだけれど、恐らくは人間性がそもそも違うので同じようにはできないだろう

ちなみにそのブログに普通に日々の生活や仕事の書いているブログで、特に漫画のことは一切話していない。というか僕は未だに自サイト以外に感想ブログ、レビューブログ全体を見ていない……何度かちょっと探そうかと思ったことはあるのだけれど、正直言ってあまり気に入るところがなかった。逆に、向こうが僕のブログを見たら「なんだこれは」と思うのではなかろうか。そもそもこの記事が既に「なんだこれは」という感じであるし。そう考えるとこのブログを読んでくれている人いるのも中々すごいと改めて思う

しかし僕の心情としては、個人ブログや個人サイトはそういう「わけのわからなさ」というか「なんでこの人はこんなことを続けているんだろう」という或る種の不気味さみたいなものがあるべきだと思っていて、それはきっと不合理なものだ。

実際、今となってはなぜ続けているのか自分でも意味不明に思っている。さっきは書きたいから書いているといったが、むしろ書いているから書いている、というトートロジーのほうが個人的にはしっくりくる。逆に言うと、書いていない時は書いていないんだなぁと感じる。

これではあまりにもどうしようもないので、もう少しだけ踏み込むならば、僕が今思うことは、少しばかり自分をそのまま信じても良いのではないか、ということだ。僕はきっと何か感じられるだろうし、僕には気力もきっとあるだろうし、そして怖がらなければ出会いはあるものだ、と、そんな風に思う。

その時々の体験は確かに一期一会で、それをうまく刻むことができれば、それは素晴らしいけれど、できなきゃできないで、まぁそれもそれなりに思い出じゃないか、と思われる。

そんなようなことを、つらつら書いていたら、一つの記事くらいの分量になった。まぁこんな感じで、ラフに書いていきたい、という気持ちが今はある。

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