みんな大好き金田一少年の事件簿、2001年全37巻完結、なんだけどその後も色々と続いている。まぁとはいえここが一つの区切りだろう。37歳になっても活躍している模様。37歳……。
昔読んでいるはずなんだが内容について悉く忘れて……いたのだけれどところどころ「犯人たちの事件簿のアイツやん」という思い出し方をしてしまうので彼のスピンオフは有能であるなぁと思うなどした。
さてせっかく読んだので、何か書こうと思ったのだが、今さら本作について言うことはあるのかどうか。どちらかというと、犯人たちの事件簿を読むために読み直したという感じなのだが……。令和基準だとハジメちゃんは性獣かもしれないなぁ、とはちょっと思ったりもした。性に関して時代を感じる一品ではあるかもしれない。
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ラブコメ観点
さて、僕は別に探偵ものについてもミステリーものについても一家言あるわけでもなく、というかこのサイトはラブコメ漫画の感想サイトであるので、この金田一少年の事件簿についてもその観点を主としてみよう。
実際まぁ、主人公の金田一と美雪の恋愛模様は本作の醍醐味の一つである……はず。多分。でも新一と蘭に比べるとカップリングとしてはだいぶ落ちるかもしれない。いやまぁアレと比べるのはさすがに可哀想ではあるんだけれど。ただまぁ、あまりそういう方面では楽しめないようには思う。
まぁ滅茶苦茶身も蓋もないことを言うと、まず見た目の問題はあるかもしらん。金田一は犯人たちの事件簿においては「堂本剛くんに激似……!」とメタネタをぶち込まれていたが、本編においては三枚目と思われる。まぁもちろんキリッとした時のはじめちゃんは格好良いのだが、それはそれとしていかにもイケメンではないことは、明智なんかと比べても瞭然であろう。
またヒロインの美雪は作中美少女設定であり、実際可愛いのではあるけれど、少年漫画全般のヒロインとしてはちょっと微妙かもしれない。実際、「男は色っぽいのは女は……?」というような意見がけっこう届いていたらしく、画のさとうふみやもちょっと気にしてそうなことを書いていた。
性に貪欲だった時代
とはいえ、正直ラブコメ観点で見た目は確かに重要だけれど、それだけで決まるものでもない。実際、絵については微妙でも脳を溶かしてくれる作品はいくらもあるのだし。つまり、やはり彼や彼女の身の振り方にあると思われる。
ってかまぁ、露骨に美雪のヴァージンを狙い続けるはじめちゃんは、令和時代のラブコメとしてはアウトかもしれない、とちょっと読んでいて思った。個人的にこの態度はむしろ正しいような気はするのだけれど、今の時代だと引かれる気はする。
割とけっこう強引だし。回を重ねるごとに美雪の処女に対するはじめちゃんの欲望は露骨になっていく。しかし、これを今の価値観で断ずるのはアンフェアだろう。当時、村上春樹の小説でも「ヤラハタ」という言葉がでてきた時代だ。これは「えー童貞!?キモーイ☆童貞が許されるのは高校生までだよねー」という意味であり、高校生にもなってやってない、というのは社会的にも屈辱感のある時代背景はあったのだと思う。僕の時代だとヤラハタは普通くらいの空気感はあったけれど、大学中にはね?みたいな感じだったかなぁ。そういう時代だった。
だからといって美雪とやるために友達全員にヤバいきのこ食べさせてラリらせるのは正直ドン引きである。やはり暴力……暴力はすべてを解決……しなかった。ってかこれは多分昭和でもアウトやろ。さすがにどうなんだと、犯人たちの事件簿でも盛大に突っ込まれていたシーンである。
まぁでも昔の漫画読むと割とこれくらいは平気でギャグとして扱われているように思うので、やはり時代の変化が一番大きいだろうなぁ。これは長くラブコメを読み続けている身からすると興味深いことで、自分自身が時代の価値観から影響を受けている、ということを実感する瞬間でもある。古典やら明治の文豪の小説なら、「あの時代はね」と切り離して考えられるが、自分が子供の時の漫画、となるとそこには連続性があるため、その変化についても生々しく思い返すことができるんだよな。
変わったのは我々
時代は変わったなぁというところは多くあり、またそこは美味しいところでもあるので、犯人たちの事件簿ではネタにされていることしばしば「考えろよ……コンプライアンスとか……!」コンプライアンスで殺人OKが通らなくなる時代はもしかすると来るかもしれない。このままいくとね。
まぁなんだか、確かに大人しくなりすぎていて、女の方も00年代に一世を風靡したツンデレヒロインも10年代には暴力女として忌み嫌われることすら出てきた。まぁその結果暴力は振るわないツンデレ女になるのだが、ツンの表現というのは難しために、言葉の暴力を振るうツンデレ女にになって余計酷い、みたいな。
かといってぬるいツンだと「ツンデレなの……?ただのデレでは……?」になる。ツンデレのツンを気づいてもらえない涙目みたいなのいたような気がするけどそれはメインというよりサブヒロイン属性感。ツンデレのツンはやっぱり形態としては攻撃だからねぇ。そこをへんに抑えてしまうと、本質的にツンデレではない別の何かになってしまうのだろう。まぁ本作にツンデレらしいツンデレは特にいなかったような気はするが(強いて言うなら明智か……)。
兎にも角にも、10年単位くらいで一つ二つ壁た高くなっており、我々は知らず知らずの間にその影響を受けている、そして本作はそのいくつか前の壁の作品、ということが言いたかった。
変わらない性愛の話
変わったところの一部は犯人たちの事件簿でギャグとして供養されている。一方で犯人たちの事件簿では取り上げられなかったところもある。たとえば、容疑者の本当に差し迫った、切迫した人間的事情による動機で、それについて本作は茶化すことがない。笑ってはいけないものなんだ、という線引きがしっかりされているんだと思う。
そしてその笑ってはいけないところは、しばしば人の想いであり、特に恋愛事情だ。そこがバッサリカットされていることが多い。逆に言うと、犯人たちの事件簿に描かれていないポイントは、原作の中にある確かにラブで、そしてその部分は30年の時代を耐えた普遍的なものだと言うことができる。
たとえば第一回オペラ座の怪人の有森に対して最後に一が投げた、被害者(の被害者)の「それでも天国に憧れる」に対するはじめの解釈(それが希望に近いものであったとしても……)、SK(すべてころす)の遠野の「最初で最後の口づけは——冷たい死の味がした」である、このへんのラブコメーター振り切ってるところは犯人たちの事件簿では全カット。ギャグにしちゃいけないってことなんだろう。
変わったものもあるし、変わらなかったものもある。最近はいくつかのことについて、結果が出たという思う様になった。つまり、少なくとも30年程度で変わるようなものはただトレンドだし、そこで変わらないモノは、もう少し人間の心性に近いところがあるかもしれない、ということだ。
本編から犯人たちの事件簿を引いて、残ったものに、人間の本当の切実さがある。この原作と犯人たちの事件簿を見比べて、何が変わらなかったんだろうな、なんてことを思っている。
S・Kはすべてくちく……!


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