多分回復した、漫画が読める程度には

これだけ連続して更新できているのだから、多分、MPの回復に成功したんだろう。ついでに言えば漫画もけっこう楽しめている。一度更新が止まったブログはそのまま死ぬが定説だが、僕に限っていえば、一度更新を止めたブログを復活させたことは何度かある。僕の命がある限り常に復活の可能性を秘めている。大事なことは、死なないことである。

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心が死ぬと漫画は読めない

僕は働き初めてから十数年、ノンストップで人よりもハードに働いてきたと思っているが、色々あって、今立ち止まっている。去年、僕は既にほとんど何もエンタメを受け付けない状態になっていた。あらゆるものがくだらなく思えた。このサイトを見てくれている人なら、去年ほとんど更新自体がなかったことを知っているかと思う。漫画どころではなかったし、ましてラブコメなんか楽しめる精神状態ではなかった、今にして思うと。

こういう経験は過去にもあって、一番酷かったのは大学院生の時だった。いわゆるブラック研究室というやつに所属していた。ブラック研究室はブラック企業と比較して世間的な認知度は低いが、未熟な学生一人の心を殺すには十分に過ぎる環境だった。あの頃の僕は本当に無で、何も感じられず、そうかと思えば夜中に突然全能感に襲われてなんでもできるような気がしたり、電車の中でわけもなく涙が溢れてきたりなど、まぁつまり情緒不安定だった。

電車がとおり過ぎるたびに、超えてはいけない線を踏み越える自分を想像した。その想像は想像のまま終わったが、100万回繰り返せばそのうち1回くらいは現実になるような気がした。きっと国中に僕みたいなヤツがいて、それを社会的な統計にしたものが自殺率と呼ばれるものだと実感した。

そんな状態だから、すべてがくだらなかった。エンタメは何も楽しめなかった。唯一、音楽方面でTheピーズというバンドの音楽だけは聞けたので、そればかり聞いていたが、調べるとわかるがダウナーな曲が多く(初期は愉快だけど)、普通はあまり好まれないバンドだ。それでも僕の唯一の癒やしだった(ちなみにこのバンドの曲からタイトルを取ったラブコメ作品があり、本サイトでも扱っている「『いんらんベイベー』1巻感想:彼女が可愛い、のはきっと好きだから」かなり玄人好みな作品)。

結局僕は大学院を中退して社会に出ることになったのだが、リーマンショックの影響で第二次就職氷河期とも言われていた時代、正直社会はやさしくなかった。やさしくはなかったが、ブラック研究室ほどつらくもなかった。自分の力で稼ぐ喜びがあったし、何より自由だった。それで僕はすっかり回復して、いつ頃からかまた漫画も楽しめるようになった。

サイトを始め、そして途絶えるまで

そして2016年1月に始めたのがこのサイトである。これは、技術者として世に出た僕が、実用的に過ぎる実生活に嫌気がさし、またエンタメにおいても見栄と虚飾ばかりの評論が溢れているのにウンザリして、できるだけ無駄でかっこよくないことを、ありのままに表現しようと思って作ったものだ。それでいて自分がある程度は書けそうなもの……ということで、当時マイブームになりつつあったラブコメ漫画に焦点を当てた。正確には多分、このサイトを作ったことでマイブームになったのだと思う。実際、それまでラブコメにこだわった記憶はなかったりする。まぁいざやってみると自分が想像していた以上に書けたので、なんだかんだで好きだったのかもしれない。

ただ当たり前だが、実生活の中心は仕事であり、このサイトもあくまで僕の趣味の一つだ。なんでもない趣味だったが、続けているとそれなりに愛着もわいて、なんとなく、できるだけ続けていこうかなと思う程度にはなっていた。

その気持ちはずっとあったが、さすがに数年たつと更新頻度は落ちた。しかしそれはすべてのブログが通る道で、ブログというのはそんなものだということを知っていたから、さして問題視してはいなかった。していなかったが、ここ2年ほど月に1回更新できるかどうかみたいな時も続き(なんなら一ヶ月まったく更新しないこともあり)、さすがにもう無理かもなという実感もあった。正直去年の数少ない更新はほとんど搾りかすも同然で、酒で気分を誤魔化してなんとか吐き出したものだ。

もはや漫画自体が楽しめるものではなくなっていた。まして愉快なラブコメなんかまったく面白くなかった。たまに何か読んでも、登場人物の誰にも共感できなかった。それでもなんとか、何故か続けられていた「ディーふらぐ! 」の一話感想記事だけは、負荷が低いこともあり意地でやっていたんだが、それもちょうど1年前の2023年5月を最後に途絶えてしまった。

それでも残した

正直限界だとはわかっていたが、サイトは潰す気はなく、時々酔っ払った挙げ句の吐瀉物みたいな記事で生存の痕だけを残していた。ちょうどTwitterことXで、35歳サブカル限界説みたいなのが流れてきたのもこの時期か。僕もまた一人の限界を迎えた人間と人には捉えられるかもしれないが、しかしそれは違うことを少なくとも理論的には知っていた。

確かに歳を取ると昔のようにサブカルを楽しむことはできない。言ってしまえば、作品との距離感が変わるのだ。それは自分という一人の人間が成長した証でもある。距離感が変われば、スタイルも変わるだろう。作品との距離が変わっていることから目を背けていた人が、直視せざるを得なくなって戸惑うというのが、35歳限界説の正体だと思う(ちなみに35歳限界説は色々なジャンルに存在する。社会的な立ち位置が大きく変わる年頃だからだろうね)。

だが立ち位置が変わっても、楽しむという行為には無限の方法があることを僕は学んでいた。だから僕は、現実としてラブコメどころか漫画全体すらまったく楽しめていないにも関わらず、恐らく楽しめるはずだという確信めいたものがあった。あくまで僕の心の問題なのだ。僕は多分ボロボロだったが、それでもかつての世界で一番不幸な気分がしていた学生ではなかった。

いつかまた何か書けるようになる日がくると信じて、半休止状態でもサイトは残し、メンテナンスを続けた。何が必要なのかはわかっていた。立ち止まることだ。でもそれは勇気がいることだった。

なんかラブコメでも読むか、と思った

そうして止まったのが、ほんの数ヶ月前のことだ。勇気と言えるものがあったのかはわからない。ただ、僕は止まった。周りの人は突然だと思ったようだが、止まると決めると、自然に止まることができた。多分、もうとっくに実質止まっていたんだろうな。世慣れした体が、慣性の残骸に寄りかかって動いているように見せかけていただけなんだ。それがほんの数ヶ月前のことだ。

しばらくして、映画を見た。久しぶりの映画だ。面白くなかったが、他にも見たいと思って、姉に地球が滅びる映画でオススメはないか聞いた。姉はいくつかAmazonプライムで見られるものを教えてくれた。何を見たかも覚えていないが、とりあえず全部面白くなかった。面白くなかったことが面白かった。でもラスト5分は泣いた。僕は知らない映画のラストシーンで泣ける。

さらにしばらくして、また漫画を読み始めた。歴史ものだった。以前途中で読むのをやめていた横山光輝の三国志を読んだ。赤壁の戦いの長さに耐えられず、思わずWikipediaでネタバレを見てしまい後悔した。キングダムと蒼天航路の積ん読を消化した。世間では葬送のフリーレン展なるものが開催されようというほどの時、僕は曹操に夢中だった。姉はオススメの三国志ドラマを教えてくれた。姉はなんでも知っている。

そんな折り、それはもう本当に唐突に、思った。「なんかラブコメ読もうかな」って思った。きっかけの一つは、からかい上手の高木さんで有名な山本崇一朗の「それでも歩は寄せてくる」を思いがけず図書館で見かけたことだろう。ただこの時点ではまだそこまでラブコメを読む気持ちにはなっておらず、借りてみたはいいものの、この愉快な漫画を読むのになと貸し出しの延長が必要で、結局一ヶ月かかった。それでも結果的には良いリハビリだったのかもしれない。存外読めた。次を読もうとまではならなかったが、心が少し暖まったように思う。

それからしばらくして、ついに、ごく自然と、なんかラブコメでも読みてぇなぁみたいな、そんな気分になった。何を読むか、どういうわけか自分の中で明確で、それは年単位で積んでいた、安部真弘の「あつまれ!ふしぎ研究部」である。この漫画は元々このサイトで薦められたものだが、1,2巻だけ読んで積んでいた。何故今更になってこの漫画の続きを読もうと思ったのかは本当にまるでわからない。僕は侵略!イカ娘を読んでいなかったので、安部真弘という作者さんにさほど思い入れがあったわけでもないし、またふしぎ研究部という作品に入れ込んでいたわけでもない。何しろ積んでいたくらいだ。そのうえ、内容はほとんど完全に忘れていた。

それにも関わらず、今僕が読みたいのはこの漫画の気がした。本当になんでなのかマジでわからん。しかし結果的に、だいぶ楽しめた。10巻以上積んでいたが、すべて順調に消化することができた。

回復したと思うし、変わったと思う

勢いで、他の作品も読み始めた。読めた。そういえばと思って、「管理人にオススメする」を見直した。更新の半休止中にもいくつかフォームで投稿をいただいており、有り難く思う反面、申し訳なくも思った。今、いくつか読み始めている。読める。

多分、だいたい、回復した、と思う。多分。したんじゃないかな。うん。

ただまぁ、以前と違う感じはある。まぁ、自分の感性が変わっていっていることは、元々わかっていたことではあった。ブログを書くということは少なからず自分を見つめ直すことなので、それを1000回以上続けていれば、嫌でもわかるんだよ。でもそれは連続的なことだ。変化に気づくのは毎日鏡を見る自分ではなく、久しぶりに会う身内であるように、年単位の半休止状態を挟んだことで、変わったことを明確に自覚した、という方が正確だろうな。

まぁ来てくれている人からすると、もしかしたら相変わらずの調子で記事を書いているように見えるかもしれない。書き味というか、スタイルは大して変わらないしね。ただもっと本質の、熱量というかな、エネルギーというかな、そういった言葉で表されそうなものが、昔のようにはいかない。

具体的には、「かぐや様は告らせたい」なんかはもう以前のような感想記事は書けないかなと思う。なんならあまり読みたいとも思っていない。非常に気に入った作品だったんだけれど、途中からは、作品以上に自分が変わったことに気づいてはいた。あと3年早く連載していてくれれば、きっと最後まで熱量をもって読めたんだけど。もう無理だな。多分幾分冷めた気持ちで、積んでいる最終巻を読むことになるだろう。そういうことはある。

作品と出会うタイミングも含めて、感想なんだな。みんなも今この瞬間を大事にしてくれ。この瞬間の気持ちは今を過ぎれば消えてなくなり、あったことさえ忘れてしまう。それもあって、俺はこうして書き留めているのだが、自分の気持ちを完全に文字列で表現するなんてのは不可能だということもわかっている。むしろ文字にすることによって、陳腐になることもしばしばだ。感想を「いいよね……」「いい……」で済ませたがる人がいるのは、言葉にするのは無粋だというのはあるだろうが、自分だけの大切な気持ちが、なんてことのない陳腐な文字列に成り下がるのを恐れる気持ちもあるだろうと思う。実際それは、とても恐ろしいことだ。

続けられる限りは……

それでも書くのが字書きの性か。すべてを残せなくても、少しは残せる。それに意味があるかは知らない。ただそうしたいからそうするんだな。言葉にできないものを言葉にしているのだから、感想は紛れもない表現なんだよ。だからこそ、変に飾らず、素直にやりたいと思うね。ラブコメ漫画に気取って書くことなんざありはしないと思っていたが、やってみると、人間はどこでも飾れるものなんだなと思う。何より、難しいんだよ、今の自分が感じているものを知るのは。それに、作者と読者の距離が近くなったことや、少し潔癖めいた世情の流れもあって、気も使う。

まぁでも、また感じられるものができて本当によかったよ。回復したと思うので、続けられる限りは続けたいと思います。

ここまで長々しい自分語りを読んでくれる人はいるのだろうかとも思うが、そういうことを気にしないから続けられる趣味である。しかし本当にまったく誰も来なかったら続けられない趣味でもある。こうしてまた記事を書いているのも、来てくれる人がいるからです。ありがとうございました。

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2 thoughts on “多分回復した、漫画が読める程度には

  1. 周蔵

    管理人さんが苦しい状況にあっても、このブログを大切にされたのは本当に素晴らしいと思います。
    年齢を重ね、環境が変わることで感性も変化していくのはごく自然なことと思います。そんな中でブログを続けて下さり、読者としては感謝しかありません。

    漫画はあくまで娯楽ですから、心の渇きを癒すよすがの一つに過ぎません。
    私も数年前の趣向と現在のそれとはかなり違います。漫画やアニメも10代の頃ほど嗜みませんし、時間が取れず残念とも感じられなくなりました。でも、それで良いのだと思います。

    管理人さんが管理人さんのペースで感じた事、共有したいとお考えになった事をお裾分けして下さるだけで、十分に楽しませて頂いております。

    返信
    1. tama

      コメントありがとうございます。自分としても来ていただけることがとても有り難く思えます。

      そうなんですよね、漫画を読む時間がなくて残念、とはもう思わないんですよね。もちろん読めれば読みたい気持ちはあるんですが。
      漫画というか創作物全体に対して、一歩引いた見方をするようになったと思います。世界の中にある様々な事物の一つ、という風に捉えられるようになったと言えるかもしれません。

      とはいえ、環境も感性も変わる中で、続けられていることはそんなに多くないので、せっかくやってきた以上、無理のない範囲で続けていくつもりです。
      気の向いた時に立ち寄ってもらえる場所の一つであればいいなと思います。

      返信

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