『勇者と魔王のラブコメ』4巻感想:禁断の恋なんてない?

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ホリエリュウ, 勇者と魔王のラブコメ 4, 2020

多分に女子の性的な要素が強調されていた前巻までの表紙と異なり、牧歌的でいかにもカプものっぽい表紙の4巻。

だがその内容はけっこう激しく、というか表題にもある勇者と魔王のラブコメはどちらかいうと目立たない。

で、そこで描かれているのは一貫して「禁断の恋なんてない」と言わんばかりの、世間一般的にはアブノーマルな恋愛観の提示であった。

個人的にはその激しさにちょっとついていけないところもあった。以下4巻感想。

目次

半額の魔力

この漫画は現状4巻まで出ており、なぜポチったのかといえばとりあえずカプものっぽい気がしたのと全巻半額セールの対象だったからだ。300円代でカプ系のラブコメならとりあえずポチるよ俺は。

正直、漫画はなんとかして300円台まで定価を落とさないとジリ貧じゃないだろうか…映画やアニメといった競争相手に比べて非常に高いエンタメになってしまっているが……。まぁでも、本作は「勇者と魔王のラブコメ|ストーリアダッシュ」でしっかりおいかけていれば無料で読めるわけで、金はなくとも時間のある若者はせっせと追いかけているのだろうか。で、俺みたいなオッサンが単行本で金を払う、というビジネスモデルなのか。まぁそれはそれでいいのか。

価値観の相違

さて、そんなわけで最新巻までポチってしまったわけだが、もし1巻無料系で1巻だけ読んでいたならば、2巻以降ポチったかどうかはちょっとわからない。半額ならやはりポチったかもしれないが、少なくとも定価では追わなかったろう。

というのも、この漫画で提示される強烈な恋愛観に、割と古典的なものを追い求めている俺は若干ついていけないところがあったからだ。

このサイトの表題である「少年は少女に出会う」はもちろんBoy Meets Girlの直訳である。これはある種古典的な男女感に根付いたジャンルともいえて、まぁ「年頃の男女」による健全でピュアな純愛を正義とみなしているといってもとりあえず差し支えない。

そうすると勇者と魔王(と魔法使い)についてはその範疇だが、この漫画で描かれるそれ以外の人たちについては、基本的に「背徳」とみなすことになる。

否定しているわけではなく、実際背徳的なラブを描いたラブコメなどは個人的には好物であるものの、それは背徳をあくまで背徳として描いたものであって、本作のように「背徳なんてない」と言わんばかりの価値観の提示は、俺にとって少しばかり強烈過ぎるのである。

「お前達はまだ固定観念に縛られているんだ
 この世界に…許されない恋なんて存在しないのに…!!」

ホリエリュウ, 魔王と勇者のラブコメ 4, 2020

これは実姉と愛を語る人工勇者のセリフだが、この漫画の世界観が端的に表現されている、と思う。

まぁこの言葉自体は多義的に解釈できるもので、俺も全面的に違和感を感じるものではない、というか原理的に言えば恋に限らずこの世界に許されないものなどない。世界はただあるだけだ。許すも許さないもない。

許さないのは誰か?それは人であり、人の形成する社会とでも呼ぶべきものである。そして社会を構成する一員である自分自身である。

つまり、「世界」をどう捉えるかによってこの言葉の意味は大きく変わるわけだ。原理的に許されないことはないが、人が作った観念の中で、社会的(注意しておくと、本作で社会的という言葉は使われない。ただ俺がそのようなニュアンスを勝手に汲み取ったに過ぎない)に許されないとされる恋はある。だがそれは所詮人が作った観念なのだから、何も縛られることはないのだ……というと至極真っ当に思えるが、では「存在しない」と言い切ってよいかというと、個人的には違和感がある。

個人的には許すも許さないもないけれど

社会的に認められるべきとされる恋愛が進行形で拡張されている昨今、この手の話題は非常にデリケートな領域になってしまい、本音の議論がしづらくなってしまっているところがあると思う。不用意なことを言えば頭昭和の差別主義者と認定されかねず、立場によっては社会的地位も失いかねない。だが近親まで拡張はされていないし、またロリータなどむしろ否定されているものもある。

結局、正常と異常の境界線はなんなのか?というとそれは結局当世の社会通念でしかない。社会通念は人の本能的なところと理性的なところのバランスで作られる。

「許されない恋なんて存在しない」というのは純度100%に近い理性的な観念なのだが、現実には人間はそこまで理性的ではないので、実際には存在してしまうわけだ。そもそも、理性的ではないからこそ恋なんてものをするのだ、とも思う。

恋とは多分に本能的である。本能は恋もすれば嫌悪もする。恋と嫌悪はその意味でセットである。許されない恋とは、結局のところ多数の嫌悪の対象なので、どうしたって許されない恋はあるだろう。理性的な人は、「そういう人もいる」として、少なくとも邪魔はしないことが多いが、そういう理性的な人だけで世の中は構成されているわけではない。そこを否定して「こうあるべきだ」なんて論っても、社会の歪みが大きくなるだけだ。

……というのが俺の考え、というよりは諦観なので、社会の構成員である以上、やはり許されない、というかまぁ多数から理解されない、少なくとも社会的には到底認められ得ない恋というのは当然ある、という認識である。まぁ当世の社会通念から、許される線の位置が多少変わることはあるだろうが。

俺自身、人が人を好きになるのに許すも許さないもないとは思うが、とはいえやはり嫌悪感を感じる恋の形というのはやはりあるし、受け入れられないものも多くある。また、受け入れられるにしても、「背徳」は「背徳」であるからこそ美しいと感じているものもある。

一方で、こればかりは文句のつけようがないなぁ、と思うのはボーイ・ミーツ・ガールであり、だからこそそれを求めている面もあるのかな、と思う。余計なことを考えずに、ただただ純粋にラブを楽しめるのは、ボーイ・ミーツ・ガールの特権ではないだろうか。

そんな俺にとって、この漫画は価値観の相違を感じさせるものであり、余計なことばかり考えて、結局あんまりラブコメ自体は楽しめなかった、ということかもしれない。

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