『よふかしのうた』1-2巻感想:少女の恋とは違う少年の恋の不確かさ

コトヤマ, よふかしのうた 1, 2019

学生の時に読みたかった。なぜ俺はオッサンなんだ。

まぁでもオッサンだからこそ感じ入るところもあるといえばある。特に2巻はどちらかというと歳いっているほうが感じるものがあるだろう。だが序盤の空気感は非常にティーンという感じで、10代から20代前半の感受性で読みたかったような気はする。

いや読めるけどね。なんだかんだいって、20代前半くらいで精神年齢は止まる気がする。余計な知識ついちゃって、それが雑音になるっていうだけで、その気さえあれば人はいつでも少年に戻れるのだよ。多分。

だがしかしに続いて、少年の心を想い起こさせる作品と思う。思えば、性欲の強さを考えると少年の恋ほど不確定で不安定で面白いものもないのかもしれんね。

以下1巻感想。

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期待して読んだのだ

だがしかしの作者さんということで、けっこう期待して読んだんだ。というのも、だがしかしはどうしてもほたるさんの印象が強いのだが、ココノツやエンドウ、サヤ師、紅豊などなど、主人公はもちろん準レギュラー陣まで、男女入り乱れて魅力的なキャラクター、関係があったからだ。それはほたるさんエロ可愛い以上の大きな魅力であったし、実際あの漫画が面白かったのはむしろそれがためだ。ヒロインがエロ可愛いだけの漫画など枚挙にいとまがないが、だがしかしは違ったのだよ。

なのでなんか往年のクランプ作品みたいな表紙な気がする本作も、きっと魅力的な男女の関係が描かれているに違いない、などと思いつつ読んでみたところ、開幕2ページでボーイ・ミーツ・ガールの香り漂い第一話読み終わる頃には確信にいたり、いやっほうといったところだ。

ちょっとこっ恥ずかしいけど

特にその世界観はオッサンには少しばかり面映いところのある、ハイティーンから大学時代くらいに夢見がちなものだろうか。まぁ主人公のコウは中学生なのだが。なんとも懐かしい、少年時代の気分を思い起こさせてくれるものだった。確かにあの頃、"夜"には特別な意味があった。まぁ、今もある程度の特別さはあるが、それでもやはり、親の庇護下ですべてが自由ではない"少年"だからこそ感じうる自由さ、解放感というものはあるものだ。

少年の恋、その不確かなもの

さて、本作ではコウが夜の街で吸血鬼の七草ナズナに出会い、そして自身も吸血鬼になるということを目的とするのだが、ここの設定はけっこう技巧的に思う。吸血鬼はラブコメでは比較的よく出てくる種族であるし、血を吸って眷属にするだとか吸血鬼にするという設定も健在なのだが、本作において、吸血鬼になる条件とは「人が吸血鬼に恋をすることだ」とされる(聞いた瞬間デスノートをなんとなく思い出したオッサンはきっと俺だけではないはず…)。

そのうえで、コウが吸血鬼になるということはつまり、コウはナズナに「恋をする」宣言をしたことと同義である。そのうえで、コウとナズナは夜の街を二人で練り歩き、終わりに血を吸って、そのまま同衾するという関係を築くのだが、エロティックなのにどことなくピュアな感じもして、それはまさに少年の恋そのものだなぁなんて思う。

実際、ナズナにキスをされたり、色っぽい格好を見たりするだけで、コウは自身恋をしたと錯覚し、これで吸血鬼になれる半ば本気で思うのだが、ナズナはそれを「性欲だ」として、実際コウは吸血鬼にならない。コウは恋をしていなかったのだ。

だが、その時のコウの血は格別に美味しいものであるらしい。ナズナは性欲と断じるが、それは情愛と切り離せるものではないし、コウは確かにときめいたわけだ。

思春期の少年の、自身にすら名状できない感情的な昂ぶりが、血の味に反映される。なるほどそれは確かに、ひょっとすると、乙女の血よりも美味かもしれない。この不安定さ、不確かさは、少女とは違う魅力がある。

本作はまず奔放で掴みどころのない、七草ナズナの魅力があるが、それ以上に作品を引き立てているのは、意外と描かれていないように思う、少年の心の揺れ動きじゃなかろうか

ということで、面白かったので折を見て続きもポチります。かつては金も自由もないが多分多感だったであろう少年だった俺も、今じゃ金と自由だけはある理屈っぽいオッサンよ。

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