施川ユウキの作品で、2013年刊行。古本で買ったのだが実は電子でも持っていた。あまりにも昔にポチったために、ポチったことすら忘れていたのだろう。10年前だもんなぁ。
本サイトのメインテーマはラブコメあるため、たいていの漫画ではラブコメ要素を探してきてレビューの中に盛り込むのだけれど、さすがにこの漫画からラブコメ要素を見つけることは不可能だった。青年が一人で飯食ってるだけで、人間関係も希薄すぎる。まだしも孤独のグルメのほうがラブコメ。
まぁでももはや漫画を選ぶような気持ちもなく、適当にレビューしていく。10年前の、リーマンショックの残り香漂う時代の漫画を。
鬱ごはんというタイトルだけれど、別にうつ病とかでもなく、至って健康な普通の若者によるそれなりに楽しいと思われる日常漫画です。主人公は貴族だと思います。以下1巻感想。
飯漫画というより日常系
この漫画はひたすらと一人の青年があまり美味しくなさそうな飯を残念な感じで食べる漫画で、雰囲気は確かに鬱々としており、人によってはあまり読みたくない類の漫画だと思われる。食欲を減退させる汚い表現も随時に見られ、決して読んだ後に「あー、腹減ったなぁ」とはならない。どっちかっていうと食欲が失せるのでダイエッター向きまである。
なので、いわゆる飯漫画かというと、それは違うだろう。まぁ少なくとも飯漫画を読みたい人が読むべき漫画ではない。やはり飯漫画は読んでる方も飯食いたくなってなんぼだろう。
したがって、この漫画はタイトルに「ごはん」と銘打っているものの、飯漫画ではなく、飯を食っている場面が多い日常漫画と捉えたほうがよい。まぁ実際のところ、飯漫画と日常漫画の境目なんて曖昧なものではあるのだが、この漫画はけっこう明確に日常寄りと思う。そして日常系の中でもかなり鬱々としているので、確かに人は選ぶだろう。
鬱々だがうつではない
鬱々とは言ったものの、別に主人公はうつ病ではない。人の手が触れたものをいやがりおにぎりを信じられないと断ずるなど、やや神経質で繊細なところは見られるが、至って健康である。まぁ幻覚見えているのはまずい気もするが、そこは漫画なのでご愛敬。
なにより、恵まれている。就職浪人という立場で定職につかず生活できている(バイトはしているっぽいが)。この就職浪人というのは、アベノミクス後の就活市場しか知らない若者にはピンとこないかもしれないが、この漫画が刊行された2013年においてはそれなりになった。リーマンショックの影響である。
まぁしかし、作者さんの年齢的に、ベースとなっているのは恐らく就職氷河期のほうだろう。1977年生まれらしいから、22歳だと1998-1999年、氷河期ドンピシャ。ん、もしかすると時代背景もそっちなのか……?🤔
まぁいずれにせよ、あまり景気の良い時代の話ではないことは確かだ。
若さを楽しんでいる
そんな時代にあっても、確かに贅沢ではないが、生きていけている。そして主人公の生活からは、これは年取った今だから恐らく思うことなのだが、間違いなく「若さ」を感じる。
特に、周囲を過度に気にする感じは、本当に若いなぁと。クリスマスに誤って店内で大量のチキンを食べる羽目になった話など、今となっては「いや、言えよ」以外の感想はない。言えば持ち帰りにできるのだ。しかしそれが言えない気持ち、実は理解できる。というのも、かくいう僕も、恐らくは言えない若者だったからだ。
今は普通に言える。「あ、すみません、違います」とか言う。というかクリスマスの日にクリスマスを気づかない可能性も普通にある。これは主人公に言わせれば「成長」で、その意味は「鈍くなる」である。
これはそうかもしれない。確かに鈍くなった面はある。周囲を昔ほど気にしなくなった。
だが、それだけでもない。そうではなく、言わなきゃいけないことは言わなきゃいけないという、そういう切迫感が常にあるのだ。やるべきことはやらないといけない。そうしないと、生きていけない。生きられない。この感覚は、多分、大人になってから、必死に生きる中で体得したものだと思う。
主人公はまだそれを体得していないし、もしかしたら今後もしないかもしれない。なぜならば、する必要がないからだ。そんな必死にならなくても、生きていけるのだ。主人公は鬱々としながらも、その惨めさを楽しんでいる。それをすることが許されている。
僕からすれば、それは「若さ」だ。別に羨ましくはないが、当人はそれなりに楽しいだろうと思う。
彼は楽しんでいる
などと思っていたら、あとがきに近いことが書かれていた。
鬱野の毎日は冴えない。だが、バイト先で酷い目に遭っている訳でもなく、貧困に喘いでいる訳でもない。重い病気もしていない。悠々自適だ。鬱々としながら、それを含めて人生を楽しんでいる。つまり鬱野の意見を代弁させて頂くと、「オレは全然可哀想でも悲惨でもないので、哀れみの目で見ないでくれ!」という事だ。
施川ユウキ, 鬱ごはん 1, 2013, 秋田書店
著者自らに解答めいたことを書かれてしまうとレビューする側は困ってしまうのだが、これはまさに本書を楽しむうえでの基本的なスタンスである。これを可哀想とか悲惨という目で見る人が多いのはちょっと驚いたが、一般的にはそうなのか。ふと気づいたが、ちょうど今の僕の年齢は、作者さんがこれを描いた時の年齢と近いということもあり、感性も近いのかもしれない。
仕事は楽しいかね?←うるせぇ
ただ、作者さんがどう思っているかはわからないが、僕個人としては、「この生活の限界は近いだろう」と思える。僕からすると主人公は若さを貪っているのだが、それができるのは当然若いからであり、またそれをできる社会的な環境があるからだ。彼は一見孤独だが、実は周囲に強く依存して生きている。さらに自分自身の若さにも依存している。
昨今の日本の情勢も含め、彼の生活は極めて危ういと現実的に思う。恐らくこういう危機感が、僕を大人にさせたのはあるだろう。僕は主人公よりも絶望の才能があったのかもしれない。
まぁでも、世の中どうにもならない面もある一方で、案外どうにでもなる面もある。まぁ、彼は彼なりに生きていけるのだろうか。僕が心配しすぎなのかもしれない。結果として、僕が得たものといえば小金といくらかの小賢しさ。その引き換えとして、色々なものを失った。僕にはもう、肉を食うときに死を食らうことを意識する感性は、もはやない。そこにはただ、値札と栄養価があるばかりだ。
僕が人生を楽しんでいるのかは、正直わからない。もはや楽しいとか楽しくないとか、そういうことは、どうでもよくなった。ただまぁ、漫画ぐらいはこれからも読めればいいと思う。
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