『弱キャラ友崎くん(漫画)』1巻感想:人生は神ゲー社会?

弱キャラ友崎くん(漫画) 1, 2018

人生を極端にゲームと見立てたヒロインが、スクールカースト底辺だけどゲームはうまい主人公に対し、人生は神ゲーだと主張しその攻略指南をする、いろんな意味で現代的な作品。

これが中々面白く、特にヒロインが人生攻略のポイントを人間関係においているのは、夢見がちな10代にしては慧眼と言わざるを得ない。彼女の努力は見た目や姿勢だけではなく、話題を単語カードにして暗記しているなど狂気じみており、正直主人公よりよほど根の深い病にかかっているように見える。

なお2021年現在、日本では「無理ゲー社会」という書籍がベストセラーになっているのであった。以下1巻感想。

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結局人間関係なのはそう

人間というやつはどこまでいっても社会的動物だ。誰よりも上だとか下だとか、誰と付き合っているとか、そんなことばかりしている間に、いつの間にか人生が終わる。いいとか悪いとかではなく、それが現実であるし、またそのようにプログラムされた種族、それがホモ・サピエンスというわけだ。

さて、本作のヒロイン・葵はそんな人の世を十代にして理解し、「攻略」している。彼女は同志のゲーマーだと思っていた主人公・友崎が人生をクソゲー扱いするのに激昂し、面白さをわかってないだけだと攻略指南するのだが、その内容がほぼほぼ人間関係を築くところに焦点を当てられているのは、非常に理にかなっているなぁと思った。

なぜって、この人間関係というやつは生涯つきまとうのだが、特に学校生活においてはこれが「すべて」といっても過言ではないほどの影響力を持つからである。しかし、それに気づいたからといって、では、とそこに全振りして対応するのは、中々できることではない。

まぁでも漫画というか、絵はちょっとアレかもしれん。葵が自宅で化粧を落として姿を前に現したとき、友崎がそれを葵だと見抜けなかったのは、作品として重要なシーンのはずだが、漫画だと「いや、どう見ても同一人物の美少女ですが……?」となってしまい、その後葵が「リア充」を作れると主張する説得力をだいぶ削いでしまっている。

まぁでも、話の筋そのものに訴えかけるところがあるので、多少気になる粗はあっても全体として面白く読める。これは小説で読んだほうが楽しめるタイプかもしれない。

ふたりとも努力マニアですよ

ラブコメ的に見ると、どうだろうな。まず、葵と友崎は同じくゲーマーというだけあって、価値観が本質的に近いところがある。ゲームというのは、やればやるだけ返ってくる、努力の定量化装置であり、その特徴を利用した「ゲーミフィケーション」なんてのがちょっと前にはビジネスの現場でも大いに喧伝されていたくらいだ。

そんなゲームが楽しい二人は、両者とも「努力マニア」といえる。ただ友崎は人生を努力が報われない初期ステ頼みのクソゲーと断じたのに対し、葵は攻略の糸口を見つけて神ゲーと考えたという、一つのゲームに対する解釈違いと言えるだろう。

ということで、二人はそもそも相性がいい。でないと、一日中マスクをしてその下は常に笑顔とか、単語カードに話題を書いて暗記とか、正気の沙汰とは思えないキチガイじみた葵の指南を受け入れられまい。だが信じられないほどゲームをやりこんでいる人たちのアクションは狂気じみていることを、現代人はYouTubeで知ることができる。

しかし、それで終わってはつまらない。友崎と葵は反発しているようで実は同調しているのだが、良い物語には常に対立が必要である。人生は一つの見方ですべてが見えるようなものではない。少なくとも対立した2つの視点が必要だ。そしてラブコメであるならば、主人公とヒロインが対立していると一番おいしい。

ってなわけで、友崎が人生を「クソゲー」と考えた理由が、どこかで深堀りされなくてはならないだろうし、まぁ多分されるんじゃないのかなぁと思う。

現実には無理ゲー扱いですが

一つ紹介すると、1500万人もの一卵性双生児を追いかけて得たデータをメタ分析して出された、パーソナリティに対する環境と遺伝的形質の影響について、「努力」は遺伝の影響57%だったという。

これはつまり、「努力できる」ということ自体が多分に遺伝、つまり才能であって、そしてその遺伝的形質は「努力」して得たわけではない、ということを意味している。

まぁだからといってもちろん「努力」の価値が落ちるわけではないのだが、「努力」自体、「努力」とまったく関係ない「遺伝」をベースにしたものだとなると、本作のヒロイン・葵は果たしてどう考えるだろうか。

まぁ、どう考えたところで何が変わるわけでもない。無理ゲーだろうと神ゲーだろうと、人生はただそこにある。できるだけ、楽しく生きたいもんだね。

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