『左門くんはサモナー』1巻感想:道徳的な自分と自由な自分

強烈にテーマ性をもったギャグ漫画。全10巻で2017年に完結している。これ少年ジャンプなんやね。へー。

タイトルからはわからないが、天使な女の子と悪魔な男の子のラブコメ。まぁラブコメといっても1巻時点ではあからさまな色恋の展開はなく、ギャグ色が強いのだが、このフレームワークでラブコメにならないはずはないであろうから、まぁラブコメ。

まぁ最初からラブコメやっちゃったら後のお楽しみがなくなるからね。勢いのある間はギャグでとおすよね。まぁ正直1巻の終わりになると、例によってだいぶマンネリ化してきたので、2巻以降はそれなりにラブい感じになっていくのではないかと期待している。ツンデレが男の子のほうなので、安易なラブコメにはならなさそうであるが。

ヒロインはだいぶオボコだが、この子もそのうちお色気担当するんだろうか。以下1巻感想。

目次

天使と悪魔ですって奥さん

最初読んでまず思ったのが、めちゃくちゃテーマ性ぶっこんでくるやん、ということだった。まぁ人の心を天使と悪魔に仮託して対立させるのは、手垢に塗れたどころの話ではないかもしれないのだが、しかしそれを男女の仲に落とし込むだけでなんとなく読めてしまうんだから、この男女ツーマンセルというラブコメフレームワークの偉大なることよ。

話としては、第2話でヒロイン・桜が友人を助けたいと叫ぶのを、「欲が出たね」と査問が解釈し、助けるところに本作のだいたいが詰まっているように感じた。左門が嫌悪するのは「こうあるべき」という規範であって、「こうしたい」という心からの切実な叫びは、それがいかなるものであれ、左門は尊ぶのである。つまり俺は、本作における天使と悪魔の対立を、道徳と自由の対立と見た

自由な自分、社会的な自分

左門が真に重んじているのは、欲というよりは何者にも囚われない自由ではなかろうか。そして左門から見て、桜はその対極、社会的に「こうあるべき」という規範に捕らわれた、最も忌むべき少女に見えたのかもしれない。

このように考えると、左門が本当にやろうとしていることは、社会的規範に捕らわれている桜を自由にする、それを「地獄に堕とす」と表現しているツンデレ少年……という解釈はまぁ若干ラブコメ浪漫過ぎるといえばそうだろう。

というのも、別に桜は今の生活で困っていることがあるわけでもなく、別に人間かくあるべしと気負っているわけでもなく、まぁ自然に、道徳的な振る舞いができてしまう女の子なのである。

したがって、彼女は決して自分を持たない木偶ではない。しかし、左門と出会って、彼女はかつてないほどに自分の心を奮い立たせるようになったことも事実であろう。

なんだかんだいって、桜は左門との触れ合い……という表現で済ますにはあまりにも激しいものだが……を楽しんでいるんだろうね。そしてそれは左門も同じ。

人間には複数の側面である。欲望に忠実な側面はもちろんあるけれど、一方で社会的な自分も存在する。両方とも、紛れなもなく自分である。どちらか片方だけが本当の自分だ、なんてことはない。

普通の人は、もう少し穏やかに、個としての自分と社会的な自分のバランスの釣り合いをとっていくものだと思う。本作では、両極端な思春期の二人がぶつかり合うことで、大きなエネルギーを撒き散らしながら、きっとちょうどいいところに、収斂していくんだろうね。

けっこう楽しめそうかな、と思ったので、ちょうど中古の相場が安かったこともあり、10巻くらいならいいか、と全巻ポチった。届くのは来年になるだろう。読み終わるのが来年かはわからない😂

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