定量的なランキングと定性的な個人の主観

世の中には無数のコンテンツがある。当たり前だけれど、全部を見られる暇はない。できれば面白いものだけみたいものだが、面白いかどうかは見てみないとわからない。

このジレンマに、僕らはずっと悩まされてきたし、今も悩んでいる。「結局マーケティングだよね」なんて言われたりするのは、「コンテンツにリーチしてもらう」のが一番難しいことだからだ。

その意味で、炎上だろうとなんだろうと、悪名が無名に勝るのは一面の真理である。特に、コンテンツを金に変える責務を負った人たちにとって、「知ってもらう」のはまさに命がけであるので、綺麗じゃなくても、それでうまくいくならなんだってやるわけだ。

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定量的にうまくいくには

うまくいくってつまりなんだよって話だけれど、この資本主義社会においてはもちろん、金に変えることだ。とにかくコンテンツを買ってもらって金に変えるのが第一だ。

この金に変えるというやつはバカにできなくて、というのも、僕ら庶民がなけなしの金をはたいて得るのだから、それがしょうもないものであれば金を使わないし、もし金を払った後にそれが張子の虎だったことに気づけば、次からそいつに金を払わないだろうし、今ならSNSなどを通じて悪評も流れるから、中長期的には結局金にならない、ということになる。

なので、金になるコンテンツは、そのことによってさらなる信用を得て、より多くの金になる。端的に言うと、ランキング1位を取ることで、「ランキング1位だから」買う人が出るためにより売れる、というわけだ。

そうすると、重要なことはとにかくランキングで上位を取る、しかもできれば一位がいい、ということになる。が、ここまでの話は「人気が出るとより人気になる」という至極しょうもないもので、その最初の「人気」とやらにどうやってたどり着けばいいんだよ、という堂々巡り。

理想的には、好事家の間でクチコミが広まり徐々に人気を博す、という形だが、現実はそんなに甘くない。現代、クチコミが広まるとはつまりバズることだが、バズるも一種の人気であるので、「バズったらバズる」というにべもない状況である。その最初のバズりはどうすればいいんだよ、と、さっきの話に戻る。

そのために、多くのフォロワーを抱えるインフルエンサーと呼ばれる人たちに宣伝してもらったりするわけだが、これはまぁ一昔前なら、いや今でも、テレビや雑誌といったメディアに取り上げてもらうのと同じ構造である。

これはメディアの力を著しく上げる。マスコミの力は今でも強いが、テレビしかなかった時代のその力の巨大さはどれほどだったか。まずメディアに気に入ってもらうということが第一になったし、そのために必要なものは、結局知名度だったり金だったり、人脈だったりする。

結局誰かの作ったものさし

で、そうなるとそれってもう本物じゃないよね、と忌避される向きがあって、それがインターネットにおける草の根的なレビューに繋がったのだと思うし、またステルス・マーケティングなどが死ぬほど嫌われている理由の一つだと思う。

なんだけれど、先に述べた通り、結局ネットもインフルエンサーだのバズるだのという話になってしまったため、力を持ったメディアが多少分散されただけの形だ。

この分散を以て、「趣味の多様化」などと言われたりするらしいが、とどのつまり定規をもった人が少し増えただけに過ぎず、結局みんな、自分以外の誰かの尺度で判断しているのだから、本質的に何か変わったわけではない。

自分にしかわからないこと

なんだかんだいっても、ランキング自体はそれなりに有用だと思っている。僕自身はいわゆる「売上げランキング」みたいなのは一切みないし興味ももたないが、そんな僕の目に入るかどうかは、ランキングの影響を大いに受けているはずだ。

ただ僕としては、「人気のあるものは僕の目に入ることが多い」程度の距離感を保っておきたい。目に入ったからといって手に取るかは別だし、ましてどう思うかは完全に僕の自由だ。結局自分にとって大事なことは個人の、自分の主観ばかりなのだということを忘れずにいたいし、また僕が見ていて楽しいのも、ゴリゴリの個人的主観にまみれた、なんなら本人にしかわからないであろう、そういう主観的駄文なのである。

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