時々書く怪文書の中でも今回は特に怪文書レベルが高くなると思うが、まぁ表題のとおりで、ラブコメってのは政治的なポルノであると、そういう風に俺は解釈している。
というと意味がわからないと思うが、まぁつまり、ラブコメを人間関係の駆け引き、一種の政治ゲームと解しているわけだ。そして、これは人間の本能に根ざしたものだと認識している。政治は本能だ。そして、社会的な動物である人は、関係を築くことそのものに快感を覚える。
現実には辛く厳しい政治ゲームの中で、もっとも甘く優しいところを抽出し、理想的に描くことで、本能を刺激し快楽を与える。これはまぁ、政治的なポルノみたいなもんだなぁと、そういうわけだ。どういうわけだ。
人は人を求める
どこまでいっても、人は人を求めてしまうのだなぁ、と思う。俺なんかはどちらかというと一人遊びが上手というか、苦にならず、他者との関係というより、自分の中にある浪漫を突き詰めることに一生懸命なタイプだと思うのだが、それでもなお、社会の呪縛から逃れられない。だからこそ、俺はラブコメ漫画の感想サイトなんて、こんなサイトを延々と続けられるのだろうなぁと思う。
別に、もともとラブコメがめっちゃ好きだったとかそういうことはなかったと思う。少なくとも意識はしていなかった。ただまぁ、こんだけ続けられているということは、何かしら俺の求めているものと合致しているところがあったんだろう。
肌色を求めているわけじゃない
それは決して、安易な肌色ではない。まぁそういう漫画も読むのではあるが、このサイトをちょくちょく見てくれている人なら、あまり俺の評価材料になっていないことはわかるものと思う。
実際、俺に限らず、ラブコメラヴァーズの紳士淑女は、世間一般のイメージとは裏腹に、直接的な性描写については、まったく求めていないわけではないにせよ、それはなんというか主食ではない。そう、オカズなのだ……っていうと完全に意味が変わるむしろそのままなのかどうしよう。
求めてないわけではないんだよな。人間関係っていうだけなら、男同士の友情だっていいじゃない。もっと家族の絆もいいじゃない。いや、実際いいんだよ。悪くない。でもやっぱり、一番は男女の関係なんだよな。それはやっぱり、生殖の本能故なんだろうか。だが、別に交尾している様がみたいってわけじゃない。なんなら、そういうシーンはなくってもいい。そうじゃないんだ。
見果てぬ夢
ベースは確かに、人との繋がりだ。それは、抽象的には「政治」と呼ばれるものなんだと思う。政治の中でも、とびっきりやさしくて、粋で、素晴らしい世界……。それを端的に表したものがある。ボーイ・ミーツ・ガール。うちのサイトタイトルにもしている。ボーイ・ミーツ・ガールなんだよ。結局。
社会的な動物であるヒトが求める、最初にして最後の浪漫であり夢。ボーイ・ミーツ・ガール。夢はどこまでいっても夢だ。現実はそんなに簡単じゃない。いや、現実があるからこその夢なのかな。見果てぬ夢を追いながら、あるいはお追われながら、このクソみたいな世界をほんの少しでもマシにしたいと、そう願いながら、いつか俺もまた土に還るんだろう。
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