古田朋大, 謀略のパンツァー 1, 2019
わけのわからないタイトルにしてしまったが、ありそうで少ないパンツァー漫画。ここでいうパンツァーはパンチラを愛する紳士の意であり、割と昔からある専門用語である。
裸より着衣がエロい、というのは比較的わかりやすいフェティシズムだし、パンチラ自体は男たるものだいたいみんな好きかもしれないが、むしろ履いてないと萎えるとまで言われたら変態と香りが漂い始めるだろう。まぁ変態です。
パンチラにおけるパンツは単なる布にあらず。パンチラは心眼で見て初めて価値を持つ。以下1巻感想。
パンチラ、それはこころの問題
パンツ漫画。説明終わり。
といっても、主人公がパンチラを見ようと奮闘する姿にページが割かれており、実際のパンチラシーンは多くない。かといってまったくない、というほど逆張りに徹しているわけでもなく、そこそこある。また、主人公の妄想シーンでヒロインたちは惜しげもなくパンツを晒している……が、ここがパンツァーのミソで、たとえ漫画であったとしても、妄想の中のエロスはイージーであって価値が極めて低いのである。パンチラとはこころである。
そのため、この漫画ではパンツが見られた時点で、パンチラの刹那の歓びの後は、イージーパンツの女として価値が暴落してしまう。ので、パンチラ漫画であるにも関わらず、メインヒロインに近づけば近づくほどパンツが見えないという逆転現象が起きている。
ただ、それは痛し痒しでもある。たとえば表紙の子は鉄壁であり間違いなくメインヒロインなのだが、その鉄壁さは何故かというと、なんとノーパンだからという荒業。ノーパンヒロインが主人公の顔面に騎乗するわけで、通常であればこれはとんでもエロスに走りやがったな、ということになるかもしれないが、パンツァー的には残念なだけである。パンツァーにとって履いてない女は路傍の石も同然だ。価値がない。
いやまぁ紐T履いていたりすることはあるんだが、それもパンツァー的にはマイナスである。いわゆるパンツァーは古典的かつシンプルなパンツを好む傾向にあり、紐Tといったセクシー過ぎるものややたら華美なものは好まれない。
いやもちろんそんな統計があるわけではないのだが、多分そうだと思う。実際、主人公も転んでパンツを見ようとした時に「さあ その姿を見せよ 白き衣よ!」とヒロインのパンツが白であると勝手に予測している。これはつまり願望である。
パンチラ、それは哲学
ということで、パンツァーはまだ見ぬパンチラを求める浪漫であるが故に、ヒロインたるものおいそれとパンツを見せるわけにはいかないのだが、かといってまったくパンツを見せないとか、ましてパンツをはかないなんてことになれば、それはそれでパンツァー的にはあんまりという、アンビバレントな事態に陥っており、もはや哲学的であると感じる。
わけのわからないことばかりいってごめん。そうだね、俺もパンツァーだね。まぁ頭脳戦とかはだいぶアホみたいなんだけれど、パンチラの浪漫をテーマにした作品ってそういえば初めて見るからつい語ってしまった。もうだめだ。寝よう。
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