ラブコメ漫画のパンチラを語りたい

品のない話題ですまない。今回は、ラブコメ漫画でよくあるヒロインのパンチラについて滔々と語りたいと思う。

パンチラのあるラブコメ漫画は多い。でも、見せ方がよくないばかりにせっかくのパンチラも有り難くなく、もはや風景化してしまっているようなものもある。

パンツ描いておけばいいんでしょと思われているのだろうか。いや、違うんだ。そんな安易なものを求めているわけじゃないことを知ってほしいんだ。誰にだ。

目次

読者にだけ見せる無駄パンチラ

お色気要素の強いラブコメ漫画なんかでは、サービスシーンのつもりなのか、読者にだけ見えるパンチラが多い。実装としては、アングルが道視点で不自然、アングルは自然だがヒロインの姿勢が不自然、ゲリラ風や部分的反重力などそもそも自然が不自然、といったパターンがある。物理法則が崩壊したパンチラについては、何がなんでもパンツが見たいという世界の強烈な意思を感じる。

特徴的なのは、必然性のまったくなさだ。物語上まったく意味がない。無駄なパンチラ。

いや、パンチラといっていのかどうかすら怪しい。誰にも見られていないパンチラはただのパンツだ。いや読者が見ているんだけれど、それはまぁ神様はいつも見ておられますみたいなものでカウントされない。

パンツが見られたら嬉しいっていう安い神も一定数いるとは思うが、それとて2,3度も見たら「もういいよ」となるだろう。

まぁ作中でヒロインのパンツが誰かに見られるのは一つのイベントになってしまうので、描きづらいんだろうとは思う。でもお色気要素はほしいし……みたいな感じなのかしら。

1回だけならともかく、こういうパンチラを描く作品はたいてい何度もやるので、そのうちにパンツが風景化してしまう。やがて読者はそのヒロインのパンチラになんのありがたみも感じなくなり、パンチラに価値がない女という悲しいヒロインが爆誕する。

お色気インフレを起こしかねず、下手すると作品にとって有害になりうるパンチラ。

読者にだけ見せない隠匿のパンチラ

野郎ぶっ殺してやる!!

すまない。ちょっと感情的になってしまった。

これもよくあるね。読者にだけ見せるパンチラとは逆パターンで、登場人物からは見えているが読者のアングルからは見せないとか、吹き出しでパンツ部分を隠す、とかだね。謎の光は意外とパンチラガードには出てこない。

あ、ラノベの表紙なんかでありがちな、どう見ても359度からパンツ見えているけれど唯一見えない1度を読者に向けているようなのも、隠匿のパンチラかもしれないな。

もう誰が得するんだこれって感じだよ。偽造文書じゃあるまいし、なぜパンツを隠蔽するのか?

目的はいくつかあると思う。考えられるのは、「見せないことでエロスを高める」「エロスのインフレを抑える」「作品の品性を維持する」といったところかな。

一番最初の「エロスを高める」はまぁ業の深い性癖と言えるね。「はいてない」を想起させようとしている作品など特にそうだ。想像させる、それはエロスの本質かもしれない。なので、一つの手法として認めざるを得ない。

しかし、あまり数は多くないと見ている。見せないエロスは絶頂のない性交のようなものだ。そこに至る人類の比率が多いはずはないんだ。それよりも、お色気という強力な表現の副作用を恐れている後者2つのケースが多いだろう。

前述のとおり、お色気のインフレは大きな問題だ。誰だってヒロインのパンチラを無価値にはしたくないだろう。作者さんはせっかく描いたヒロインのパンチラ、読者には有難がってほしいはずだし、読者だってヒロインのパンチラを見たら子供のように喜びたいのだ。

パンチラは比較的お手軽なお色気展開であり、恥ずかしがるヒロインの可愛い様なども描けるからね。お色気展開を演出しつつ、エロスのインフレを抑える、となると、こういう見せないパンチラに落ち着くのかもしれない。

パンチラはエロスの入り口でもあるので、思い切りパンツを描いてしまうと後戻りできないかもしれない、という思いもあるのかもしれないね。

ただ、エロスが怖いなら、あまり気軽にパンチラ展開してくれるなよ、とも思ってしまうな。最初からエロスを想起させるような状態にしなきゃいいのさ。別にラブコメに必須のものではないのだし。

お色気の効用を期待する以上、その副作用も甘んじて受け入れるべきだと思うな。ラノベの見えてなきゃおかしいくらいの表紙とか、ちょっとずるいよ。もう泣きそうだよ。いや、泣いてないよ。男の子だからね。

あとは、パンツを描くことで作品の品性が低下することを恐れている、ということはあるかもしれないな。我が国において、パンチラは表現の自由として保護されており法的に規制されることはないが、まぁパンツの有無が実際皆に見せて良い作品かどうかを判定する一つの基準になることもあるし、単純に品がないしな。

まぁパンチラシーンがある時点で品性もクソもないのが現実だけど。無意味だと思うね。

どう考えても見えているのに誰も突っ込まない風景パンチラ

見えてるやろ。と読者が思わず突っ込ずにはいられないほどパンツ全開なのだが誰も突っ込まない不思議なパンチラ。あまりにも自然にスルーされているので読者の俺が戸惑う。

この世界ではパンツが見えてもいいのか?それともパンツだと思っているのは俺だけでパンツではないのか?そういやそういう作品あったな?とか思うが別のシーンではパンチラがしっかり特別なイベントとして扱われることもある。

こういうのをダブル・スタンダードと呼ぶ。ダブル・スタンダードはよくない。信用を失う。こんなしょうもないことで世界観を揺るがされ信用を失ったら割に合わないだろう?

一方で、本当にヒロインのパンチラについて特になんとも思われてないこともある。これはこれで寂しいものだ。ヒロインのパンチラは特別なイベントであってほしい。

あるいは、パンツ以外にたいへんなものが見えていることもある。確かにその場合はパンチラどころではない。

ただし、兄弟とか幼馴染とか、極めて親しい関係であることの描写のこともある。その場合は、二人の関係性をさりげないエロスで表現した高度な技法といえる。

全員に見られるパプリックパンチラ

主人公以外の男に見られるパンチラと言い換えてもよい。オープンエロスなラブコメに多い。悪くはないのだが、やり過ぎるとただの痴女になってしまう。世界観によるが、ラブコメヒロインにとっては致命傷にもなりうる。男の感情ってのは複雑なんだ。

確かに多くの男はエロい女が好きだ。だがパートナーにしたいと思う男は多くはない。つくづく男とは勝手な生き物だな。まぁでも似たようなところは女にもあろう。恋人と結婚相手は違う、とか本質的にそういう話だ。つまりそもそも人間とは勝手な生き物なのである。死ね。

女性にだけ見られるプロテクティッドパンチラ

これは読者にだけ見せるパンチラの亜流だと思う。同性相手でも自身の下着が見られるのは抵抗があろうし、同じとまでは言わないのだが、しかし「大事にせずお色気を演出」という本質は共通していると思われる。

したがって読者オンリーパンチラと同様の特性があり、やりすぎるとヒロインのパンチラを無価値化させる恐れがある。濫用注意報。

自分にだけ見られるプライベートパンチラ

なんじゃそら?と思われそうだが、要はパンチラを見られたのではないかとヒロインが焦るが、実際には誰にも見られていない、というパターンである。ファントムパンチラといってもよい。

これもよくあるパターンの一つで、見たのではないかと嫌疑をかけられた主人公が理不尽な目に合うこともある。そういうときはただひたすら可哀想で、ヒロインにヘイトが向くこともあるが、その場合は読者にパンツを見せておけばたいてい許される。

他者の目を意識しているという点では、女性にだけ見られるパンチラよりもパンチラらしいパンチラではあるけれど、通常あまりおいしい展開とは言えない。でも、かつて桜井のりおがみつどもえでこのイベントを起点にたいへんよろしいカプものを描いたので、侮れない。

主人公に見られる王道パンチラ

パンチラの基本であり王道であり正解。このシチュエーションを中心に、偶然や自然の力を借りて演出するのがパンチラの正道と考える。

しかし注意点がないわけでもない。

二人の関係性にもよるが、あまり主人公側から積極的に見ようとするものではない。積極的に見ようとして成功したらそれは犯罪だし、犯罪にならないような関係ならば、それはそれであまり面白くない。お前らパンツの向こう側もう知ってる仲だろ、という気分になるので。

また、パンチラの制裁として主人公に対し信じがたいほどの暴力行為に及ぶ展開があるが、さすがにそこまでやられると「そこまで見たいもんでもないよ」と冷静にさせられるのでこれもNG。かといって前述の風景パンチラのようにスルーされても寂しい。

1,2コマでさらっと、しかし確実に記憶に残る、そんな二人のやりとりが期待される。ラブコメにおけるパンチラの真価は、パンチラ時よりむしろパンチラ後の二人の挙動にあると言っても過言ではない。だからといって読者にパンツを見せないのはブッコロである。

パンチラの用法・用量は適切に

どんなパンチラもやりすぎればやはりインフレを招き、最終的には風景化する。風景なので見てもなんとも思わない。パンチラに価値のないヒロインはラブコメヒロインとして悲しい。

ラブコメ漫画は複数ヒロインが登場するものが多いが(特にハーレム系に類されるものは)、するとパンツのバリエーションも必要になる。そこをサボってあらゆるキャラで同じようなパンツにすると「この世界にパンツは1種類しかないのか?」というような気分になり、当該ヒロインの明日のパンツはもちろん、まだ見ぬキャラのパンツまで既に見たような気分にさせられる。だからといってあまり凝ったパンツばかり描かれても、なんだかファッションショーを見ているようで鼻白む。

こだわらなすぎず、かといってこだわりすぎず、あくまで自然な感覚が求められる。

パンチラをわかっている作品

パンチラは決して描けば読者が喜ぶんだろというような安易なものではない。その効果を最大限に発揮させるには、ラブコメの基本を押さえたうえで、案外とバランス感覚が求められるのである。

ここ1年くらいに読んだ中で、「この作者さん最高にパンチラをわかってやがるぜ、あんた最高だよ」と俺が太鼓判を押すのは、「万代かなめは遊びたい」だ。本作は用法・用量はもちろん、その見せ方や周囲の反応に至るまで、基本を抑えつつ抑制をきかせながら、時にはちょっとした独創性も感じさせる、素晴らしいね。パンチラヴァーズの諸兄には是非手にとって、その目で確かめてもらいたい。

なんだろうなこの記事。

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