『お嬢様の僕』9巻感想:約束されたノーストレスのハーレムラブコメ

田口ホシノ, お嬢様の僕 9, 2021

この漫画の何がすごいかというと、いついかなるときでもさらさらと読めてしまうことだ。本当にさらさらと読んでしまった。「絶対ポチる」と言って一年ポチらず、挙げ句ポチってからさらに二年積ん読する俺が、すぐにポチってすぐに読むのは珍しいことなんだ。

なにしろこの漫画は安心して読める。ノーストレス。何も起きない。ひたすらにして愉快なるラブコメかな。これ以上楽なラブコメは今ちょっと知らない。

以下9巻感想。

目次

良い漫画にはしんどい漫画も多い

ラブコメ読むのにストレスとかあるの?と多くの人は思うかもしれないんだが、どうもあるらしい。というのも、日々の労働でやっと手にしたお金を払ったにも関わらず、金を払うだけ払って読みもしない、ということが当たり前にあるからだ。

これはどういうことかというと、読みたい気持ちはあるのだけれど、体がそれについていかない、ということだろう。いや、心がついていかない、というべきかもしれない。心にエンジンがかからないのだ。

これは歳のせいだろうか。昔はそんなことなかったから、そうかもしれない。しかし歳のせいだとして、それは感受性が鈍ったからなのか、それとも数多ある物語を食してきたが故に、物語に触れて得られる感動が薄くなってしまったからなのか、あるいはその両方か。

いや、きっと違うな。俺の感性はまだなんとか生きている。むしろ、子供の頃より鋭くなっている気さえする。だからこそ、今なお俺は物語を嗜むわけだ。そうして呼び起こされる感情に心地よさを感じたいわけだ。それは昔から変わらない。

ただ、昔と違うことがあるとすれば、疲れみたいなものを感じる、ということだろう。なんだろう、怒るのも、悲しむのも、喜ぶのも、楽しむのも、すべてに疲れる。ただそうした感情に浸るのは悪くない、むしろそれこそが生きることだという実感がある。が、ただ、疲れる。それが昔と決定的に違う。生きることは疲れるのかもしれない。

だから、感情を揺さぶる漫画、考えさせる漫画というのは、良い漫画だが、同時にしんどい漫画でもあることが多い。俺がかぐや様の最新巻をいまだに読めていないのは、そういうわけだったりする。

まるで馴染みの定食屋のように

そこへいくと、この漫画は良い。まったくストレスがない。スルスル読める。だからといって愉快な気持ちがないわけではない。楽しさはある。面白いと思う。だが、別に心から驚く新展開はない。まぁそうだろうな、そうだよね、うん、わかってるな、うん、きっとこうなる、こうなった。そんな感じで、どんどんと読みすすめられる。

これは、馴染みの定食屋で注文をするような感覚に近いかもしれない。いつもの美味しさをありがとう。それは決して驚くようなものではないかもしれないが、期待を裏切らない一定以上の品質だ。

多くの人は物語に劇的を求めるかもしれないが、日常的に物語を摂取する俺のようなものにとっては、この驚きのなさこそむしろ有り難いものである。

そして、この漫画が「ハーレム系」のラブコメであることを思うと、これはけっこうすごいことだ。ハーレム系のラブコメは、修羅場っぽくなったり、ヒロインレースに大きな展開があったり、主人公が難聴になったりして、案外ストレスフルな展開になることが多い。それはハーレムというのが現代倫理からは異常な状況だからだろう。

ハーレムという「異常」をノーストレスに描く、それでいながら一定の品質を約束する、こういう漫画はなかなかないんだ。

……などと、長々と書き綴ってここまで作品のこと全然話してないのは、特に話すことがないからだ。でも10巻もでたらポチるしすぐ読むと思う。それ以上言うことはない。

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