『おじょじょじょ』4巻(最終巻)感想:ラブコメの枠を壊した先に

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作・クール教信者。2017年4巻にて完結。表紙でときめく。

野暮を承知で言うと、ラブコメ、ないしボーイ・ミーツ・ガールとしては蛇足。それでも、これが規定の理想世界で終わらせないクール教信者の世界観なんだろうとも思う。

まぁでも一読者としては、1巻の完全無欠のボーイ・ミーツ・ガールの伝説が忘れられなくて、余計なことをという気持ちはどうしてもあるんだ。それは読者のエゴだけれど。ただ1巻の評価については作者さんもわかっていて、それを承知で続けたのだろうし。まぁ漫画家というのは業の深い生き物だなぁ。

なんだかんだ言って好きよ。以下最終巻の4巻感想。

目次

読者のエゴとは思うが

ついに完結。割と超展開。まぁクール教信者であることを考慮するとある意味平常運転。1巻で完結していればよかったのに、という気持ちがないかと言われると、まぁ正直ある。晩節を汚すとまでは言わないが、「あの人は今」で知りたくなかった今を知ったような気分に近いかもしれない。

だってさ、組織の孤児だよ。組織の孤児!久米田康治流に言えば「なぜ我慢できなかった!」だよ 笑。まぁこれがらしいと言えばらしいんだけどさ。

まぁ面白いは面白かったのだけれども。ラブコメってもくれたしさ。主人公ヒロインはもちろん、クリスと天道カップルもいい感じで爆発してたしさ。でもあまりにも1巻がボーイ・ミーツ・ガールとして、ラブコメとして、本当に本当に、綺麗過ぎたからなぁ。綺麗なものには綺麗なままでいてほしかった、とは読者のエゴか。

読者のエゴがあるなら、作者のエゴもあろうが、まぁそのエゴを描いたものが漫画なのだから仕方がない。これが映画のように、脚本の人やらが変わった続編で、前作の感動に水を差すような設定が明らかにされれば腹立たしいけれど、漫画は一人の作者によって描かれているからなぁ。

クール教信者は、一つの作品を描くというよりは、一つの世界観を描くというタイプのお人で、本作もその世界観の中の一部という感じだしね。1巻の評価は当然知っていて、それでもなお続けたのだろうし。

「旦那が何を言っているかわからない件」のスピンオフ「さび抜きカノジョ」で超展開かましたみたいに、別作としてやるという選択肢も当然あったろうけれど、ナンバリングで続けたのはそうしたかったから、なのだろうし。

たださび抜きカノジョはスピンオフだからこちらもそのように受け止められたけれど、ナンバリングでここまでやられると、読みながら「マジかよ」ってちょっと嫌な笑いが出ちゃったのは、そうなんだ。だってさ、組織の孤児だよ!(しつこい)

ラブコメの枠と枠の外の可能性

読んだ後、昔観た映画「海の上のピアニスト」を思い出した。しかしその理由を書くと、観ていない人にとってネタバレになってしまうので言いづらい。漫画のネタバレは気にしない当サイトも(ネタバレを恐れる人が最終巻の感想なんて読まないだろう!)、名画のネタバレは気にする。

ネタバレを気にしながら書くと、ピアノが88の鍵盤なら、街の生活は無限に続く鍵盤、のような表現が映画でされる。そして、無限の鍵盤を弾けるのは神だけだ、とも。ラブコメという枠が88の鍵盤とするなら、それを超えた世界観の表現は無限に続く鍵盤だろう。そんなもの、弾きこなせる人はやはりいないだろうと思う。

ただ、そもそも弾きこなす必要があるだろうか。俺たちの生活は不格好に続いていく。それは綺麗ではないかもしれないが、それが生きるということだろう。一人の今を生きる人間として、無様でも(失礼!)規定の枠に収まらない鍵盤を叩こうとする様には、何か共感できるものがある。そう思うのは、漫画家も一人の人間なんだよな、と思う程度には俺も歳食ったからだろう。

まぁでもそれはそれとして、やっぱり1巻のボーイ・ミーツ・ガールっぷりはラブコメ史上に残る物語なので、これも別枠として楽しみたい、とも思う。枠の中でうまくやれるなら、それが一番綺麗なのは間違いないのもまた残酷な世界の真実。だから、1巻は別枠。これくらいの読者のエゴは許してほしい。

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