『みなみけ』2-3巻感想:話より雰囲気を読む平成日常系漫画の文法

桜場コハルのみなみけ2巻は2005年つまり平成にして17年。うーん今は昔。

なんかすごい脳が疲れた。この漫画読んでこんなに疲れたの世界で俺だけなんじゃないか?この漫画は頭空っぽで読む漫画じゃないのか?最初テキトーに読もうとしたら、マジで本当にまったく内容がわからなくて焦った。お、おかしいな……。

と思っていたんだが、2巻の途中くらいからまたすらすら読めるようになった。多分文法を思い出したんだと思う。平成日常系漫画の文法を。この目的地もわからず常にコマを飛ばしているような感覚ページの抜けた紙芝居のようだ。そして現代的説明口調の対極ともいえるような、わからないやつは置いていくセリフ回し。わかる必要もないからできる芸当である。

まぁでも最近の漫画が親切過ぎるのかもしれないとも思った以下2-3巻感想。さすがに令和になると当時の空気感も忘れてるなぁ。

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ラブコメしてる

俺は世代的にもちろん本作を知っているものの、桜場コハル作品については今日の5の2しか読んでいなかった。なんとなく、色恋とは離れた日常系のような印象を抱いていたのだけれど、想像よりもかなり色恋の成分が強い。ってか若干修羅張ってさえいる。そういえば今日の5の2も地味にラブ分強かった気がする。

では本作がラブコメなのかと言われると、あまりにも日常に溶け込み過ぎていて、あまりそんな感じはしない。今ここで築かれている多角関係がすべて成就しなかったとしても、まぁそれはそれで……というかそういう未来が割と想像できてしまうような感じ。ただまぁまだ3巻までしか読んでいないので、ずっと続けて読んでいくと愛着とかわいてくるのかもしれない。

恋愛関係図

次の巻読むまでにはもう関係を忘れていそうだからメモっとく。合ってるか……?

graph TD subgraph 南家 haruka(ハルカ) kana(カナ) chiaki(チアキ) end fujioka(藤岡) makoto(マコト) senpai(保坂先輩) subgraph 南家2 touma(冬馬) toumaani(トウマの兄) end fujioka --> kana chiaki --> fujioka makoto -.->|憧れ?| haruka fujioka -.->|謎のライバル視| toumaani fujioka -.-|修行| touma chiaki -.->|警戒?| touma chiaki -.->|嫉妬| kana senpai --> haruka

正直、藤岡はこの三姉妹とは違う人とくっついたほうが三姉妹的には後腐れない気がした。家族はずっと続くからなぁ……。でもマコトはハルカ好きみたいな雰囲気出してるけど、現実の距離感はチアキに近いような。ってか女装男子か。

作中最強のモテ女・カナとモテ男・藤岡を中心に見るとだいたい完結するのだろうか。

氏家ト全との合作を見て思う

3巻巻末に氏家卜全の妹は思春期との合作があった。そういえば氏家卜全の妹は思春期も結局積んでる。生徒会役員共よりもちょっとわかりづらかった記憶があるんだけれど、こうして見ると氏家卜全だなぁ。桜場コハルに比べれば、だいぶわかりやすい。力業だけれど起伏があるので、オチている感じがある。桜場コハルは全部平坦、フラット。

ああそうか、フラットなんだ、この作品。ずっと平坦なので、意識を引っかけるところがなくて、気を抜くと何もわからないまま全部すっ飛ばしてしまう。話を読んでいるというより、雰囲気を読んでいる。そういう感覚だ。その場限りの感情をやりとりするための、その場限りの応酬が続く。だから言動の一つ一つを深く考えても仕方が無い。この感覚を思い出すまで、ちょっと時間がかかってしまい、読み始めてからしばらく戸惑ってしまった。まぁでもすぐに慣れたので、人間というのは不思議なものだ。

ただまぁ結局のところ、今も昔も、俺の好みとこの作風は少し外れているのはある気がする。昔よりかは読めるけれど。

などと言いつつ相当の巻数まで積んでいるので、2024年にもなってこの20年前の作品をつらつらと読んでいくのであった。昔よりも思うところはあるだろうか。

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