ラブコメ浪漫に思いを馳せる紳士淑女は多いが、必ずしも現実的に満足な恋愛をしているわけではない……というより、まぁ勝手な気持ちだけれど現実での恋愛事情はからっきし、という人のほうが多いのではなかろうかと思っている。なんだったらかなりドライな恋愛観を持っているのではないかとさえ。だからこそ、ラブコメ浪漫の夢を見るのではないのか、と。
自分が見てきた中でもっともドライな結婚観は、ホリエモンあたりの言う更新制夫婦制度であり、実は俺はそういう考えも理解できなくはないのだが、しかし反対である。そんな制度を下敷きにされたら、ラブコメ浪漫の夢さえ見るのが難しいからだ。浪漫は夢とはいえ、夢は現実を下敷きにして作られる。現実にも浪漫が少しは必要だ。
ラブコメ浪漫は制度を下敷きにできている
ラブコメ漫画を読むのは、当然そこにあるラブコメ浪漫の夢に浸りたいからなのだが、この浪漫は人によって少しずつ異なるものの、大枠として現代の婚姻制度を下敷きにしてできていることは間違いない。しかも、やや昭和的な。古風といってもよい。
たとえば苗字。当然のように、夫婦は同じ苗字となる。まぁ現代日本ではいまだに夫婦別姓が認められていないので当たり前といえばそうなのだけれど、しかし、たとえ夫婦別姓が認められるようになったとしても、多くのラブコメは、結婚したら同姓になるカップルを描くだろうと思う。苗字が一緒になる、というのは強烈な浪漫があるからだ。
特にタイトルに名前がついているようなやつはね。最近流行りのあれ。からかい上手の高木さんにしてもなぜだ内藤にしても、タイトルがタイトルなだけに、苗字が代わるってのは劇的な要素があるしね。
まぁとはいえ、少しずつ変わってもいくだろう。たとえば働き方。高木さんはスピンオフ作品を見ると専業主婦っぽくて、もう何もかもが昭和っぽいというか、なんかまだスマホとかなさそう、なんだったらポケベルがありそうな感じだが、なぜだ内藤については、ちゃんと二人共働いている。しかも旦那が医者だから稼ぎ的には問題なかろうに、ちゃんと夫婦で働いている。きっとスマホもあるだろう。
もっとも大きなものは婚姻制度
制度と共にラブコメ浪漫も変わりゆくだろうが、一つだけこれだけは維持しなければならないだろうものがある。それは一夫一妻制である。まぁ源氏物語という古典がある以上、一夫多妻制でもラブコメはそりゃ書けるだろうし、そもそも今だってハーレムを貫くラブコメはないでもないし、ハーレム系というだけならクソほどあるんだが。
しかし、ラブコメ浪漫という観点で見ると、やはりその純度の高さは一対一の男女によりもたらされるものと思う。しかも初恋が良い。間違っても、お互い4,5人目ではいけない。「ある程度付き合った経験があったほうが、異性に求めるものも現実的だしね」そんな話はバラエティ番組の素人出演者にさせればよいのであって、恋愛ドラマでしてよい話ではないわけだ。ラブコメ浪漫に求められているのは現実ではなく夢である。
夢は現実を下敷きにしてできている。である以上、現実も最低限の浪漫はあってほしい。まぁわざわざ言わずとも今さら一夫多妻になるわけないやろと言えばそうなのだが、それも今でこそ当たり前に思えるが、日本において一夫一妻制になったのはせいぜいここ100年ちょっとの話である。
多分、自然に任せると一夫多妻になってしまうのではないかな。人間を遺伝子の乗り物と考えた時、生殖の役割から恐らくもっとも合理的なものは一夫多妻だろう。実際、動物の世界では珍しいものではない。
今でさえ、男の生涯未婚率は女の生涯未婚率よりも高い。これは何を意味するかと言うと、一人の男が(離婚を経て)複数の女と婚姻関係を結んでいるということで、これを以てクチの悪い人は「時間差一夫多妻」などと言う。一夫一妻制は、実はけっこうな浪漫の賜物で、今でさえ実質的には微妙なところだったりするのである(遺伝的多様性の担保という点では一夫多妻に勝っているのだが)。
婚姻制度は絶対のものではないので
そして最大限の合理化が進んだ時、起きうるのは婚姻制度そのものの崩壊だ。結婚という枠にとらわれない、みたいな言説は一度は聞いたことがあるだろうし、そういったことをテーマにした物語もある。これは現実的に起こりうる浪漫の崩壊である。
まぁでも、結婚制度はなくならないだろう。というより、なくしてはいけないと思う。それは合理的な理由からではなくて、そこに浪漫があるからだ。浪漫とは魅力的なものだ。多かれ少なかれ、人は人に夢を見る。恋愛はその最たるものである。なんだかんだ、人は夢を見たい生き物なのだと思うし、それが人の救いだと思う。
俺たちは、自分のことはともかくとしても、合理的なだけではなく、人間こうありたいものだな、という理想や夢を忘れずに、制度を考えていかないといけない。まぁつまり、俺はラブコメのために頑張るわって話だよマジで。
コメント