Twitterのプロモーションで漫画が流れてきた。最近よくある昔の漫画のパロディ系商業漫画だ。恐らく作者さん本人がプロモーションしているようで、時代は変わったなと好ましく思う。しかし、読んでみるとその内容には少し違和感を感じた。リプライを見るとだいぶ好意的に受け入れられているようだったが、自分はちょっと、うーんだった。
空気に逆らったレビュー
リプの中には、はっきりと違和感を表明しているものもあった。作品を頭ごなしに否定するのではなく、なぜ自分はそう感じたのかを、Twitterの字数制限の中で言語化する努力が見て取れるものだ。僕の感覚はそのツイに多少近いものがあるように思われて、ああ、指摘されたような面があっての違和感だったかもしれないな、なるほど、人の感想を読むのも悪くないものだなぁと、役に立たないを密かに標榜するこのサイトの、役立たないが面白い意義を感じたりもした。
ただ、残念だったことは、さらにそのツイートに対するリプに、やれ頑固者だのパロディなんだから笑って流せだの上から目線での説教だのがついているのを見てしまったことだ。ゲンナリした。ちゃんと理屈立てて反論しているのもあったのが、それはそれで感想に反論してもなぁ、という感じだ。ツイ主は再反論していたが、泥沼……。
まぁ、昔からよくあることなんだ。批判自体がダメというより、流れに逆らうと袋叩きにあう。実際、批判の勢いが強いときには、そんなこと言わなくても…というような罵詈雑言が溢れていたりする。その中で賛の意見を出すと、それはそれで「はぁ?」となるのだ。みんなで気持ちよく叩いてるのに、水を差すなよといわんばかりに。
結局はその場の空気なんだね。これは現実世界でも同じなんだけれど、ネットではもっと顕著だ。そして、肯定の空気の中で批判的な意見を出すのは、その逆よりさらに難しい。難しいというか、通りすがりの人たちから石を投げられる覚悟をしないといけない。パロディを笑って流せる人も、気に食わない意見は笑って流してくれないのが現実だ(そしてそういう人は、自分が気に食わないパロディは笑って流さないだろう)。
賛否を超えたところに感想の本質はある
みんなそれがわかっているから、ネットの空気は賛否どちらかに傾きがちだが、実は現実にはもっと多様な感情が渦巻いているし、その多様さこそ感想の魅力の源泉だ。賛と否の間で揺れ動く感情や、賛とも否とも言えない、しかし何か言わずにはいられないような感性の機微に、その人の人生を感じる。それが感想の面白さだと思っている。
大事なことは、自分の感じたことをそのまま表現できることだ。もちろん、人に言葉が届く以上、不必要に悪し様に言うことはない。罵詈雑言はよろしくない。ネガティブレビューは気を使う。それは仕方がない。逆に言うと、ある程度気を使えばそれで十分だと思う。気を使っているんだろうなということがわかれば、それ以上なにか言うべきではない。
そもそも賛否は結果に過ぎない。賛否の枠を超えた、ただその人の感性の発露に、感想の本質があるように思う。そこにその人の人生がある。その人の本当が垣間見える。僕にとってはそれこそが面白いことだ。
Twitterに期待?
しかし、そういう率直な表現のできる場所というのは実はあまりない。読書系プラットフォームは比較的やりやすいかもしれないが、漫画はあまり強くなかったりする。正直、漫画だと一番自由に率直で面白い感想が書かれているのは、Amazonのレビュー欄じゃないかな。それはちょっとねぇ。
Twitterもあるが、140文字の字数制限はあまりにも強烈で、これじゃ「いい……」くらいしか書けやしない。ただただ共感を求めるならそれでもいいかもしれないが、上述した通り、感想の本当に面白いところは140文字じゃどうにもならんのである。
結局、僕はこうして個人ブログというネットの孤島を作って、一人延々と感想記事を垂れ流す道を選んだわけだが、まぁこれは僕の性に合っているようで、細々ながら数年続いている。こんなところでも、時折罵倒を飛ばしてくる輩はいるが、それはBANすればいい。ここは無秩序なTwitterでもまとめサイトでもなく、自分で管理できる(しなくてはいけないとも言う)独立国家である。孤島といっても検索流入は今なおまぁそれなりにはあるし、中には気に入って定期的に来てくれる人もいてくれているようで、有り難いと思う。
まぁとはいえ、今どきブログもないもので、自分はもう始めてしまっているからよいが、人に薦めるのは難しい。最近noteが上場したが、あまり漫画の感想を書く場所という感じではない。あそこでは作品の感想よりも「なぜ鬼滅の刃はこれほどの熱狂を生んだのか?」などという分析(?)のほうが喜ばれる。で、僕はnoteをあまり好きになれなくて、退会していたりする。
もしTwitterが4000文字にまで拡張されたら、感想プラットフォームとしての可能性があるかもしれない。ここまでちょっとくさしたけれど、140文字という感想にとっては厳しすぎる字数制限がいらぬ誤解を生んでいる面もあると思うんだよ。だから、それが撤廃されればあるいは……。面倒な通りすがりの人は確かにいるけれど、プロモのリプならともかく、自分のツイートなんてそもそも大して見られないし、ミュートやブロックといった機能で最低限の管理もできるし。
実際、イーロンはやってくれそうだしね。やってくれんかね。そうしたら、僕ももうちょっと他人の感想読むようになるかな?僕は感想を、自分と作品の間に織りなされた光路を表現する行為だと捉えている。だから人の作品の掛け算の数だけ感想は存在する。しかも、同じ人でも時を経て感じ方は変わる。それは単純な賛否じゃあないんだ。もっと色々な人が、率直に、140文字で表現しきれない感性を出せるようになると、僕も面白がれることが少し増えるかもしれない。まぁ今は、Twitterに期待かな。
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