『かくしごと』1-3巻感想:誇り隠れた漫画家漫画

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作・久米田康治。2016年1巻より。2018年3月現在、5巻まででている。

時間泥棒はちょいとまぁだったので、本作についてはちょっと二の足を踏んでいた。が、読んでみたら……おう、面白い。一気読みする類ではなく、ちょこちょこと1,2話ずつ読むのが楽しい。

主人公は娘に自分の職業を隠している、シモネタの過去作を持つ漫画家…というあらすじで作者さんを連想するなというほうが無理な話。漫画家漫画はよくあるけれど、久米田康治らしい捻られ方をしている。

微妙にラブコメチックな設定もある。さすが。以下1-3巻感想。

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よく捻られた漫画家漫画

漫画家漫画はよくあるジャンルの一つだと思うけれど、この捻り具合はさすが久米田康治、なのか。子供に漫画家であることを隠す男、ってね。普通は職業人としての誇りみたいなのが感じられるものだし、この漫画にもそこかしこにプライドのかけらが散りばめられているのも確かなんだけれど、まず主人公の漫画に対するニヒルな姿勢が目立つのは、一つ特色と言うべきだろうなぁ。自分の仕事を誇り高いなんて思わないけれど、これで食ってきたんだという自負もある。その葛藤が、絵をうまいとは言わないがヘタとも言えないジレンマとして表れる。ええやん。人間らしくて。

なんのかんの言ってベテランだから、業界事情にも詳しいので、漫画的に崩してはいるのだろうけれど、ディテールになにか実感めいたものが込められていて楽しい。担当当番制は実際ありそうだけれど、どうなんだろね。雑誌最後にある作者さんの一言コメントのパロディが実にいい味出しているなぁ。コメント自体はまとも、なんだったらちょっと意識高いのが、実に、実に。雑誌は読者を育てないとね笑。

例によって例のごとく、無駄にラブコメするあたり、読者サービスなのか、作者さんの趣味なのか。まぁ趣味か。知らんけど。ヒロイン無駄に多いな。今の所、物語上活きているとは言い難いし、今後も特にフラグが成就する気配もなさそうではある。

久米田康治作品は長文も読んでしまう

ところで久米田康治作品の面白いところは、漫画の途中にある、昔の文庫本のごとき細かい字で書かれた謎のエッセイを、しっかりと読ませるところだろう。漫画の途中とかあとがきにある長文って、漫画を読んでいる時は、脳が漫画モードになっているのか、自分はあまり読む気にならないんだけれど、久米田康治作品は読める、というか読んじゃう。

というと、単に文字を読まないだけじゃないのか、と思われそうな気もするが、俺は別に文字嫌いではない。むしろ元々小説を読むほうだった。最近は多忙を理由にあまり読めていない……が、まぁ単に漫画が楽だから漫画ばかり読んでいるのだろう(俺の脳は退化している?)。経済的にも困っていないし(独身貴族様なり)。子供の頃はお金がなかったから、学校の図書室で借りられたり、中古で100円ないしそれ以下の値段でゲットできたりして、かつ長く楽しめる小説が俺の娯楽だった。古典の名作読んでいたら周囲の大人に褒められるしお得お得。

だから文字媒体には抵抗がない…というより、いまだに一番好きな媒体だと思う。だからというわけではないかもしれんが、このサイトは漫画のレビュー(と言っていいのだろうか)サイトにも関わらず、文字ばっかりで、画像が一つもない記事も多くあるわけだ。というかこの記事がそうだ。

まー画像については、著作権の問題があるので、引用でもあまり使いたくない、というのが一番の理由ではあるんだけれど。後はやっぱり単純に面倒。スクショとってトリミングして場合によってはコントラストとか調整して……めんどいわぁ……画像だけ直リンされたりとかもあるしなー……。

閑話休題。

漫画を読んでいる時は脳が漫画モードになっているので、あまり長文を読めなくなるんだけれど、久米田康治作品の長文はついつい読んでしまう、という話。なんだろうね。漫画の中の文字数が多くて、脳が若干小説モードになっているんだろうか。そういえば、新井理恵作品なんかも長文全部読めるわ。

まぁ、漫画自体が文字だらけ、なのもあると思うんだけど、単純に文章自体がうまいのも大きいと思うんだわ。エッセイとかあったら読みたいと思えるもんな(本人はさくらももこじゃねぇんだよと嫌がりそうだけれど)。それとも、これも作者さんに言わせれば、漫画として中途半端だから、ということになるんだろうか。まぁ読者としては、面白ければなんでもいいんだけどさ。

とりあえず、今回は安心して最新巻まで買ってもよさそうだわ。時間泥棒は未だ積読中やからなぁ。

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