『かぐや様は告らせたい』10巻感想:本当の優しさを求めて

作・赤坂アカ。2018年10巻。ここにきて全員集合の表紙とは……。

さすがにそろそろ進展があってもいい頃なんじゃないのかと思うのだが、今回は特に何もなく。いや、かぐやの内面的なところで進展はあったのか。恋愛劇場は進んでない、というかもう行く所まで行っているということかもしれない。

もうこれ、完全にお互いの好意をほぼ確信しているよね。優位にたちたいから告らせたいというより、「絶対大丈夫だと思うんだけどもし拒否られたらどうしよう」的な青春劇場だよねこれもう。いやいいんだけどね。いやほんとありがとうございます

にしても、ヒロイン単体で一番可愛いの早坂かもしれんね。ハーサカ再び。あと伊井野がチョロい。石上はいつもどおり自爆。以下10巻感想。

目次

完全に好き合っているしお互いそれをわかっているだろ

この漫画は生きる喜びなので、できれば体調やメンタルが整っている時に読みたかったのだけれど、耐えきれずに読んでしまった。

一番楽しい時なのか。もう会長もかぐやも、互いの好意を確信しているだろう。白銀がかぐやに「好きな相手に言われたら照れる言葉」を打ち込んでいく話にしても、これ場合によっては「キモイ」というネガティブな反応が返ってくる可能性だってあるわけだけれど、白銀はその点について可能性すら考えていない。少なくとも好意はあるはずと思っているのだろう。それが恋慕の情、という確信が持てていないくらいで。くらいで。

二人とも、既に好意については確信があるんだろうなぁ。10円玉ゲームとか、ただ相手の本音を引き出すゲームになっていたし。

かぐやの浮気ボーダー

だからなのか、実質的に付き合っているような状態に近い。別に告白しているわけでもないのに、会長がハーサカと二人でカラオケにいったのが浮気か浮気じゃないかで思い悩むとかなど、かぐやの面倒くさい女ぶりが如実に表れていて笑える。付き合ってないんだからああだこうだ言う資格もないのだけれど、でも逆の立場だったら白銀も嫌だろうしな。

ハーサカ再び

でもこの件については、かぐやの自業自得だしな。久しぶりのハーサカはやはり可愛かった。このぶりっ子ハーサカが作中で一番男受けする女子の気がする。まぁその後、会長に演じていることを指摘されてムッとしたのか知らんが、「人は演じないと愛してもらえない」と唐突に闇の深いことを言い出すわけだが、本当に四ノ宮家周辺はどうなってんだ。

すべてを隠さない白銀御行を見せられるのか、と会長は早坂に詰め寄られて、白銀は何も言えなくなるけれど、白銀の「背伸び・虚勢」と、早坂の「演技」は本質的に違うような気がしてならない。というか、白銀の「虚勢」は「演技」ではないような…。違うと思うけれど、どう言っていいかわからないね。だから会長も押し黙ったのかな。。。

(追記)その後なんとなく思ったのは、白銀の背伸びや虚勢は「こうありたいという自分の姿」に、澄ました顔で必死さを隠し、つま先立ちで手を伸ばしてなんとか届こうとしているのに対し、早坂の言う演技はそうではなく、仮面を被って「こうあってほしいんでしょ?」という偽物になりすましている、という本質的違いがあるんじゃないのかなぁ、と。このまったく違う両者を、「すべてを隠さない」の一言で一緒くたに覆ってしまっているのが、早坂の無自覚な誤魔化しだったように思う。(追記終わり)

この不憫な子にも、誰か愛を与えてやってください。。といってもキャラがいないね……。会長誘ったのは、もちろんかぐやへのあてつけが第一義だろうけれど、別の感情もあったりなんだりするのかもしれんね(どうでもいいけれど、いったいどういうテンションで会長はハーサカとのカラオケで「オラ 連続でイクぞ!」なんてオラついたんだろうか)。実際、白銀は素の早坂と付き合えるだろう数少ない野郎だろうけれど、まぁ白銀は当然かぐやだからね。かぐやがいなかったら出会いもなかったろうしね。仕方ないね。

石上にはもちろん早坂は手に負えない、ってか多分伊井野なんだろうしね。藤原推しだったけれど。藤原はみんなのマスコットってことで。はい。石上は、今回も伊井野をフォローしようとして自爆。この子はこうして、優しさを不器用に振り回して誰も幸せにならない選択を選び続けてきたのだろうなぁ。。。

優しさについて

ところで、「優しさ」について、白銀とかぐやで大きな温度差があったが、これはラブコメ的に面白いところだと思うので、ちょっと語りたい。

ラブコメ主人公の性質として「優しい」は代表的な気質なのだが、まぁたいていの場合それは、無個性な主人公がモテモテである理由を無理くり考えてひねり出したもので、好かれる理由としてはイマイチ説得力がないことが多い。日常においても、「優しい」は「普通」の言い換えであることしばしばだ。

そういうわけなので、白銀は優しさを"燃えないゴミ"なんて言ったのだろうが、一方でかぐやは"コンプレックスに近い憧れ"と表現した。ずいぶんと高い評価である。

この温度差は恐らく、二人の境遇の違いから来たのだろうと思う。白銀にとって、優しさはありふれたもので、取り立てていうほどのことでもない当たり前のこと。しかし、かぐやにとってはそうではないのだろう。

いや、かぐやだけじゃない。大人になるにつれて、当たり前だと思っていた「優しさ」が実は尊く、得難いものだということを、皆が知ることになる。優しくあることがいかに難しいことか、身内や親しい友人だけではない複雑な人間関係や、仕事のプレッシャーの狭間で知ることになる。なってしまう。そして、自分もまた思っていたほど優しくなれないことも知る……。

かぐやはその残酷な現実を、あまりにも早くから叩き込まれてきたのだろう。だから、かぐやが「優しさ」を求めるのには切実さがある。それは、白銀が想像したような、「無害」「奥手」の言い換えのようななまぬるいものではない。ラブコメにありがちな無個性型ハーレム主人公が何故か無数の美少女に好かれる時に好きなところとしてよくあげられる謎の性質とは全然違うわけだ。

だが白銀自身は無自覚だろうが、白銀は真の意味で死ぬまで優しい人間であるだろうことは想像に易い。それは石上を生徒会に引き入れた経過もそうであるし、小さいところではハーサカを連れ出したのもそうだろうし、特に花火をかぐやに見せようと奔走したのは、恋慕の情は元より、かぐやの想いを何とかして叶えたいという、情愛を超越した純粋な気持ちがあったからだろう。

人を思いやる気持ち、その気持ちを行動にうつす意志、そして具現化する強さ、それらがすべて合わさった時、本当に"優しい"人になれるのだと思う。そして白銀は、ヘタレながら、それらを兼ね備えた稀有な人物で、それが非常に魅力的なのだ……ヘタレのくせに。ヘタレなのに、ってところがまたいいんだろうなぁ。ヘタレだからこそ、優しくなれるのかもしれない。天才肌のかぐやと違って、生粋の努力家だしね、会長。。

優しさこそ究極にして至高の性質やと思うよほんとに。俺も、優しい人を目指しているんだよ。。。優しくあろうとしているつもりなんだよ。もう本当にクソだよ…今更過去の自分を殴りたいと思うことしばしばだよ。今も10年後の自分に殴りたいと思われていたらいやだなぁ…。かぐやも、自分自身優しくないと思いながら、それでもなお、優しくあろうと思う程度には、会長に影響されたんだろね。ええなぁ、そういうの……。いいラブコメを読んだら、少し優しくなれるような、そんな気がしないか。しないか……。

次巻も楽しみにしています。できれば次巻は体調万全で読みたい。

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