今回は話が重そうでポチってから読むまで2ヶ月以上かかったわ。
まぁでも、そこまでのストレス展開ではなかったね。さすがこの作者さん、バランス感覚わかってはるなぁ。
今回のメインはかぐやと早坂。これまでちょくちょくあった会長と早坂の話も、広い意味でフラグだったようだ。少女漫画文化のない俺にとって、女の友情話で先を読ませられたのは初めてのことかもしれない。いや、友情…友情か?友情ではなにか浅い気がするね。
そしてついに本編でされるカップリング論争。原作者さん語りたいスピンオフ好きすぎるやろ。俺も好きやけど。
以下カップリングではない二人がメインの19巻感想。
やっと読んだんだ
やっと読んだよ。割と出てすぐくらいにポチったんだけれど、2ヶ月以上読まなかったね。同時にポチった語りたい3巻はホント速攻で読んでハッピーになったというのに、なんと本編をまさかの積ん読っていうね。
まーね、だんだん歳食ってくると、重い話読むのにエネルギーが必要になってくるんよ。読めないわけじゃなくて、初動コストがかかるというかね。まぁ身体は正直だなーってもんよ。
だからもう年単位で積んでて、でも忘れているわけではない漫画とかもあったりするんだよね。最終巻買ってからずっと読んでない、なんてのもある。なんとなく、開いたら本当に終わるような気がするんだろうね。いや、終わっているんだけどさ。俺は、俺の時間の中で生きているからね。もちろん世の中の時流に多少は乗りつつね。この漫画ももう20巻の大台…どうなるかな……。
前巻は早坂周りで四宮家が動き出すという非常に重たい感じの引きで、読み始めるのに心的負担がかかって読めなかった。今なら読めるなってふと思ったのは、あまりにも疲れて帰ってバタンと風呂も入らず寝て起きたド平日の早朝。なんか知らんが、あー、今読みたい、とナチュラルに思えたもんだ。できればこの漫画は夜ゆっくりと読みたいのだが、この機を逃すとまた2ヶ月くらい積ん読しそうだったから、読んだよ。
みんなが読みたかったもの、かぐやvs早坂
で、読み始めるとやっぱり引き込まれてね。ストーリーはどシリアスに入っているから、いつもみたいに開幕2秒でニヤニヤするってわけにはいかなかったけれど、合間合間にしっかり鼻白まない程度のコメディ入れてくれるから、よかったよね。
特に会長と早坂の密会を目撃したかぐや様ご乱心はニヤニヤしちゃったよ。
同人版はこれをやるべきだったのに。
いやもう結局、同人需要ってそういうところやん。早坂ヒロインにしたらめちゃくちゃウケるの間違いないのに。まぁもちろん、浮気する会長とか会長じゃないとか、かぐやを差し置いて早坂が一線超えるはありえないとか、そこらへんを納得させる状況設定は難しいのだが、そこはそれ、公式とはいえ同人なので多少読者の基準も甘くなるし。その意味で、かぐやを嵐を呼ぶ園児にした話は力技だけど良かったんだよね……。って、2巻までの知識で語っているが、もう4巻まで出ているよね。って今巻末見たら4巻完結って!どうなったのかな〜、うーん。
さてそれはいいとして、その後の展開も中々熱い。
それもそうだね!(喜)
もちろん、早坂は本気でそう言っているわけではない。なんだけれど、多分今まで散々あてつけられたお返しなのも間違いなくあるだろうね。そして、かぐやに対してこんなことができるのは、早坂だけ(というか早坂じゃなかったらリアルに消されそう)。つまりこのシーンは、早坂とかぐやの絆を語る一側面なんだな。
まぁでも、多分この時早坂は本当に楽しい気分だったろうし、かぐやはマジでちょっとキレていたと思う笑。ついでに言えば、早坂自身、会長に対してまったく思う所ないわけではないし、かぐやもちょっと疑っているところあるのは、多分本当。そういう本気の面もあるから面白い。人間の感情ってのはいつもいつだって多面的で複雑なんだ。
友達ですらなかった
そんな複雑な人間関係の極致が、かぐやと早坂の間柄だったのかもしれない。この二人の絆を友情という言葉で表現しては、何か外しているように思う。なぜならば、彼女たちの関係は主人と従者だからだ。その枠組みの中で、彼女たちはギリギリ関係を保つことができた。そうしてまで保ちたい関係だった。
友達にすらなれなかった彼女たちは、屋敷の中で、友達よりも濃密な時を過ごした。早坂はその影で常にかぐやを裏切り続け、その罪悪感に自ら押し潰されそうになりながら、それでも関係を続けたのは、かぐやと一緒にいたいからだったのだろう。それは自分のためでも、かぐやのためでもあった。
実際、早坂がずっと一緒にいたからこそ、複数の人格をもったり氷のかぐや姫になったりしつつも、自分を見失わずに済ませることができたのだろう。
だが、それだけではいずれ破綻は見えていた。彼女たちの行末は破滅しかなかったと思われる。それはかぐやの兄と早坂の母との関係に暗示されているように。
彼女たちには、外からの助けが必要だったのだ。
まぁ、作中で思いっきりかぐや兄を生徒会に入らなかったかぐやと書いてしまっているしね。こういうのは設定欄に書くのではなく、読者に想像させるのが粋だと思うんだが、つい書いてしまうのがまぁ作者さんらしいといえばらしいね。絶対設定頑張りすぎるタイプだわ。
許すということ
まぁとにかく、主に会長の頑張りによって心の奥底で凍らせていた優しさを溶かされていたかぐやは、紆余曲折の末、なんとか間に合って早坂を助け出し、その長年にわたる裏切り行為を聞かされてなお、激昂しつつも、許した。それどころか、つらい思いを背負わせていた、と涙すら見せた。
人を許すというのは本当に難しいことだ。まず、許すということは前提として自分に害をなしたということである。そして、許して野に放てば、再び自分に害をなす可能性がある。これは恐ろしい!特に、かぐやはその過去から、裏切り者を絶対に許さない、「許されてはいけない」と決めていたし、その決意は他ならぬ早坂の立ち会いのもとでなされた。
それでも許す。許したい。なぜ?
その行為の理由を、わかってしまうから。その行為の奥底にある心を、感じられるから。許すとは、動物的本能に反して人間の共感性の為せる高度な業なのだと思う。
それはとても難しい。我々人間は猿から進化したらしいが、いくつかの言葉を覚え小賢しい知恵をつけただけで、その性根はあまり変わっていない。だからこそ、政治家というやつはボス猿みたいな連中が多い。政治と名のつくものを見ていると、結局、人もまた動物に過ぎないんだな(この言い方は動物に失礼だろうか)、と思い知らされるようで、俺は時々本当に世の中が嫌になる。
四宮家の人間は、まさにそういう動物的な原始の本能をそのままに、高度な知恵を身につけたクズ揃いなのだろう。生まれながらのクズでなかったとしても、その環境の中で生きるために、堕ちる者もいるし、それがかぐや兄であり、生徒会、というより会長と出会わなかったかぐやというわけだ。
それはある意味では強い。多くのものを手にするかもしれない。だが、本当にほしいものだけが手に入らず、死ぬまで満たされない飢えと乾きに苦しめられるだろう。
が、かぐやはそのような生き方から脱することができたようだ。だから、許した。みっともなくギャーギャー喚いた末に。その姿はアホかもしれないが、確実に幸せに近づいている。許したからこそ、叶わぬ願いを叶えられた。友達として、かぐやは早坂と共に学校へ行くことができたわけだ。
会長大したことしてる
ということで、そんな二人の「願い」を叶えた立役者ともいえる会長は、大したことはしていないというけれど、実際は大活躍といってよいでしょう。まぁそもそも早坂が今回の行動に踏み切れたのは会長の存在があったからだろうし。逃避行中も、助けてくれる会長に早坂は大いに励まされたであろう。
ってーか、人を信じられず利害で計算しようとする早坂を諭す会長の人間観が10代のそれではないのだが、いったいどんだけ苦労しているんだろうこの子。人の闇を知り、それでもなお光を信じて行動できる人は、理想的なリーダータイプだと思うよ。
次回カプ論
などと書いていたらもうだいぶ長くなってしまった。が、まだ石上会計のカップリング論争が残っている。カップリング論争となれば俺も語らないわけにはいかないので、そのへんは次回。感想まさかの二分割。
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