『イモリ201』5巻(最終巻)感想:「女子高生」とはなにか、その答えとバカップル

今井ユウ作の変態バカップルが輝くイモリ201第5巻にして最終巻。

最初に読んだときはカップルものとは思わなかったので、嬉しい誤算だった。多分作者もそこまで意識していたわけじゃないようにも思うが、しっかりバカップルしていて俺によし。変態の純愛いいよね。

以下感想。

目次

井森の女子高生に拘る理由は割合さらっと

井森の設定は多分もっとちゃんと描きたかったんじゃないかと思うが、割と無理矢理締めた。最後の方は飛ばし気味に、けっこう無茶苦茶。無茶苦茶だが、勢いがある。やりたかったことを最後に一気にやりとおした感じ。良い画が多い。井森が女子高生を名乗る理由も明らかに。どうやら血は争えなかった模様。

家族漫画的な側面もあったということで、そこをうまく掘り下げれば面白くなった……かもしれないが、家族愛はそれはそれで一大テーマであるので、適当に切り上げてざっくりと終わらせたのは結果的に良かったかもしれない。変に小難しい展開よりも、頭悪くてさっぱりした展開のほうがこの漫画には合っている。もってけセーラー服の画はよかった。絶対やりたかったんだろうなぁこれ。

「女子高生の井森さんが好き」とはつまり

本巻一番の見どころは、やっぱり最後、鮫島先生が川島に問いかける「アイツ自身」と「女子高生」どっちが大事なんだ?という選択に対する川島の答えやね。

川島は最初井森さん自身が好き、と言おうとしたけれど、やっぱり無理としたうえで、「女子高生の井森さんが好き!」と啖呵を切る。それに対する井森の答えは、「女子高生が好きな川島が好き」からの「やっぱり私は女子高生じゃなきゃだめだって」という謎の相思相愛。

大切なことは、井森自身は本当は女子高生でもなんでもないということ。したがって、この二人の言う「女子高生」とは、現実そのままの「女子高生」ではない。それは一種の概念で、社会的に醸成されたイメージをベースに、井森が作り上げた独自の偶像である。

つまり、川島の「女子高生の井森さんが好き」とは井森という存在と人生の全肯定であり、またそれこそが、孤独に苛まれてきた井森がもっとも求めていたものでもある。それ故に、この二人はもう「お幸せに!」としか言いようがなく、ひらたく言ってバカップル。表現こそ変態的、倒錯的でありながら、どこまでも純愛。こういうの、こういうのがいいんだ……。

などと書いたものの、恐らく作者はそんなこと考えていない。したがって、この二人のカップル感の強さは、偶然の産物と思う。だが、いいもんはいい。

鮫島先生素敵でした

ところで、川島と井森のカップルとは別に、単体で一番好きなキャラは鮫島先生だった↓。

今井ユウ, イモリ201, 第5巻
今井ユウ, イモリ201, 第5巻

なにこの先生素敵。生徒のことを好きかと問われ、間髪無くこう答えられる女教師すごい。わざわざホモ・サピエンスという学名を用い、さらにそれを略すという謎の親しみ方に、悪意がこめられている。

この人は、自分が若くなるのではなく、自分より若い女が全員死ねば自分が一番若い、という発想が素晴らしいな。どうせ妄想するなら自分が若くなると考えればいいところを、他者の滅びで相対的に若くあろうとするあたり、根本的に自己への肯定感がある。自身のセックスアピールにはなかなか自信があるようだ。

若い女が嫌いなのに嘘偽りはないのだろうが、それにも関わらずなんだかんだで生徒に慕われているのは、性根が非常にポジティブだからだろうか。決して劣等感に苛まれているタイプではない。むしろ逆。また、教師としての自覚も強く、面倒見が良い。はるかが卒業してなお頭が上がらないのは、それだけ世話になったということなのだろうな。

最後に川島を力強く井森の元へと送り出す様もカッコイイ。元から川島にはあまり相手にされていなかったので、一人相撲的、自己満足的なところも正直あるのだけれど、それひっくるめてこの人らしく、とても素敵だった

次点教え子で警察の遥が好き。キレ顔が好き。貧乳好きの一言で水谷に落とされかけるさりげないチョロインぶりがまた。この作者の妙齢の女性はいい味出しているなぁと思う。

ところでこの漫画で最後まで一番救われなかったのは、魔女のエーリカこと林えりかだろうというのは多分間違いあるまい。頑張れエーリカめげるなエーリカ人生まだまだこれからだ。

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