『ゴールデンカムイ』感想:僕はラブコメが大好きなんだ

野田サトル, ゴールデンカムイ 1, 2015

このサイトはラブコメ漫画の感想サイトです。僕はラブコメが大好きなんだ。このマンガ……すけべ過ぎる!!

さて、GWに全話無料という太っ腹な企画をしてくれており、またここしばらく、たわわかカムイかってくらいにTwitterでもよく見かけていた漫画だったので、ちょっと読んでみたら続きが気になってしまい、気がつくと最終話まで突っ走っていた。せっかくなので感想記事。

まぁネットに出てくるのはすけべなマタギだったりヒグマとの愛だったりするかもしれないのだが、けっこうちゃんとラブコメもしている。いや、マタギの話ではなくてね。

でもやっぱりヒロイン枠はすけべなマタギだし、真ヒロインは脱獄王だったかもしれない。アシリパさん可愛いんだけどね。以下全話感想、ガンガンネタバレ。

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美少女アシリパさんをすこれ

本作のヒロインは決定的にアシリパさんである。1巻から登場し、主人公・不死身の杉元のパートナーとして最後の最後まで大活躍する。

生粋の日本人である杉元とアイヌのアシリパさんだが、二人の間に壁はなく、食文化の交流を経て早速打ち解け合うシーンはこの後の二人の関係を占うようで、ラブコメラヴァーズもニヤニヤ必至だ。

もちろんアイヌのグルメは脳みそだけではない。アシリパさんは「その獲物を捕った男だけが食べていい」というアイヌ屈指のグルメを杉元に振る舞う。目玉だ。

アシリパさんは杉元に目玉を振る舞い、うまいかだけではなく、ヒンナ、神に感謝するアイヌの言葉を伝える。さらに追加でもう片方の目玉を食べさせる。

もちろん食文化の交流は一方通行であってはいけない。杉元の味噌文化にも触れ、味噌をオソマ(うんこ)だと忌み嫌っていたアシリパさんが、ついに杉元のオソマを口にして日本語で「おいしい」と瞳を輝かせたシーンは本作の名場面の一つである。

その後杉元とはぐれた時には、預かっていた杉元のオソマを大事に食べる。なくなって白石から「補給すればいい」と言われたときも「杉元のオソマじゃなきゃいやだ」と頑なであった。食い意地が張っていて、食べ物はおろか飲み物からも手を離さなかったことを思うと感慨深い。

杉元はアシリパさんのことを大事に想っており、作中で何度かアシリパさんが危険な目にあうとブチギレて飛び出していくのだが、アシリパさんも負けず劣らず杉元のことを想っており、それはもう杉元が死ぬところを想像するだけで涙するほどだ。

杉元に死んでほしくないアシリパさんの想いがビンビンに伝わってくる

末永く爆発してほしいと思わせる杉元とアシリパさんの関係は本作における大きな魅力だ。正直作品的にいつ不穏なことになるとも限らないので、その進展をヒヤヒヤしながら見守ることになる。

杉元の杉元をガン見するアシリパさん。二人の間に嘘はない。

ヤクザのふざけた乳首を見た時は野生に戻り奇行種の如く「うるるるる」と威嚇したアシリパさんだが、杉元の愛息を思い出す様子は実に楽しげであり、慈しみさえ感じさせる。

相棒感に弱い

とまぁ、だいぶ適当に書いていったが、杉元とアシリパさんは割と真面目に俺の性癖に刺さった二人である。こういう相棒感のあるカップリングに弱いんだよね俺。

上で「二人の間に嘘はない」と書いたが、実はある。特に杉元はアシリパさんの身を重んじるあまり、けっこう頻繁に言うべきことを言わないし、嘘もつく。それがわかるので、アシリパさんはちょいちょい憤慨する。自分と杉元の関係は対等な相棒のはずだ、と。

主に生活に関わるシーンやサバイバルなところではアシリパさんが主導権を握るので、そういうところでバランスが取れていたのだが、後半は政治的な動きが大きくなっていくに連れて、杉元の過保護ぶりが際立つようになっていき、それがアシリパさんには大層不満だったわけだ。

なので後半、暗号について杉元にあえて情報を伝えない、言うことを取捨選択するなど、アシリパさん自身もだんだんと政治的な振る舞いをするようになっていくのは、寂しさもあるが杉元の相棒として成長しているとも言える。最終的には、相棒として二人でラスボスと決戦になるし、この二人の関係が物語的に大きな魅力かつ重要なのは間違いない。

気負いも感じる

ただまぁ、少しばかり気負いすぎているところもあると感じられ、特に後半、人の生き死にやアイヌ民族・文化全体の話にまで話が大きくなると、どうも収まりきらないなという感を受けた。少しばかり、理屈っぽすぎるな、と。

物語序盤から貫かれる不殺の誓いについても、最後の戦いでは緒方に毒矢を撃ち、そんなアシリパを見て、緒方は自死することでアシリパの不殺を保つのだが、これはもはや緒方の物語に取り込まれてしまったように見えて納得いかなかった。というか緒方を生かしたこと自体、最後まで納得いかなかったなぁ。

っつーか、白石もなにげに不殺なんだよね。まぁアシリパのような難しい立場にいないから同じようには比べられないんだけどさ。別に白石には大義はないし。ただ、杉元の不殺に対する気持ちって別に御大層な大義とかあんま関係ないし、そういうことを考えると、真ヒロイン白石説がちょっと脳裏をよぎる。

これについて友人と話した時、友人は「アシリパが作者の描くべきだと思っている思想で、白石が作者の書きたい思想なんだろう」と解釈していて、これには俺もなるほどなと思わされた。俺の言葉にさせてもらうと、アシリパは考えながら描かれて、白石はありのまま描かれた、という風に感じられる。アシリパは言葉の一つひとつに気負いがあるけれど、白石の描写って肩に力が入ってなくて自然なんだよなぁ。

まぁアシリパの言葉は作品の思想そのものとも受け止められるから、気合い入っていたには違いない。そのために、少し覇気が強くなってしまった印象。

大きな思想の話はどうしても、思想だけが宙に浮いてしまいがちになる。そんな時に地に足を止めてくれるのは、個人的な人間関係だと思う。古いたとえになってしまうが、漫画でいえばデスノートの夜神月とLなんか、ビッグテーマを人間関係に帰着させて成功した例だと思う。

久々に『デスノート』を読んだけれど、夜神月と弥海砂はなんだかんだ面白い二人だったなって、まぁでも結局月とLの話

逆に言うと、物語のテーマ性と杉元・アシリパの関係があまりピッタリとリンクしなかったところに、最後の最後、どうにも決まりきらなかったところがあるように思った。この二人の関係次第ではもっと深まったと思うんだよなぁ。

実際、読んだ直後は各人の生き様に感動を覚えたが、後で落ち着いて振り返ってみて、物語全体としては「結局なんだったんだ」という思いが拭えなかった。それは多分、アシリパとアチャの思想が、作中の政治的な大立ち回りに比して、「うん、まぁ、それはそうだろうけど」と言いたくなるような、なんとも実感の伴わないべき論だったからのように思う。

どんな大きな思想も、そこに質感をもたせるのは、どこまでいっても個人的な人間関係なんじゃなかろうか。たしかに杉元とアシリパは良いカップルだと思うんだけれど、作品のテーマと比べた時、もうちょっとちゃんと描いてほしかったという気持ちは正直ある。マタギのすけべ描写の半分くらいの気合いがあれば……。

マタギのたわわ

ところでどすけべマタギといえば、たわわに絡んで少し真面目に話すと、どうやらTwitterではゴールデンカムイを男女論的な見方で解釈する向きもあるようだ。個人的にはあまり楽しい読み方ではないと思う。

さすがに男女論までいくとメタ的に過ぎる。作品の楽しみ方として、他にやりようがないときの最後の手段じゃなかろうか。少しばかり無粋に思う。本作はそんなことをしなくても十分面白い。俺がカップリング的な読み方をしばしばするのは、結局物語なんてのは人と人との関係こそ根幹と思うからだ。すみませんただの趣味です。

まだ29巻までしか出ていないけれど、単行本でたらポチってまた読み直そう。

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