アニメ化らしい。マジか。
本巻はひたすらアツい本です。一応サービスシーンはあるけれど、主軸からは大きく外れた。ガンゼボウと今回のイベントで、臨界点を完全に超えたと言ってよいだろう。
端的に言うともはや表紙詐欺です。いや一応あるんだけどね、こういうシーンも。あるけどこれこそもう蛇足になっちまったなっていうか。
どのジャンルでも、よく出来た作品の中には作中で次のステージに行こうとするものがある。新たなジャンルとはそうして作られていくものなのかもしれない。
以下10巻感想。
人生化する漫画
マスラオウ編完結。今回は完全にキクルvsマスラオウだった。着目すべきは、キクルが多くの人の力を頼っていることだろう。キクルは元々リーダ気質があったものの、その自身の能力の高さとそれに反比例した世渡り下手から、ほぼ独力でやってきた。それだけにトキシッコとの協力戦には感じ入るところがあったりもした。
そんなキクルだが、数人とはいえ信じられる仲間を複数得られたのは非常に大きいね。マスラオウは彼一人では絶対に倒せなかった。彼は大多数の人を引っ張るのには向いていないかもしれないけれど、少数の精鋭のリーダには向いている。主人公タイプ。あ、主人公か。
まぁでも、あれだな、vsマスラオウ戦は確かに面白かったけどさ、もう完全に路線変わったなって。作者さんも自覚的ではあるようだけれど。もうエロが余分にすらなってきている。少なくとも、エロが作品を彩っていない。
これは、どうなんだろうな。作者さんはあとがきで、おそらくは冗談半分ながら、「人生と称される新たなジャンルの作品に挑戦したいのです!……え?もあるんですか!?」と嘯いているが、実際多くの人生化する漫画はけっこうあるもんだと思う。
本サイトで取り上げた中でいくつかあげると、雨隠ギドの甘々と稲妻とか赤坂アカのかぐや様なんかそんな感じ。
逆に、人生化したところで終わる漫画もある。宮原るりの僕らはみんな河合荘なんてそうだと思う。あと植芝理一の謎の彼女Xとか。
まぁだいたいは、この次に行ってしまうと作品のコアが変わるっていうところで終わる気がする。本サイトはラブコメ漫画のサイトなのであくまでラブコメで考えると、古くはめぞん一刻なんかもそうだったと思うし。
ただ本作の場合、ジャンルは確かにエロコメではないのだが、キクルを中心(視点人物)とした或る世界の物語と考えると、実はコアは全然変わっていない、とも言える。まぁ実際、そんな感じの野心を最初からもって始められたのかなぁ、と邪推する。
エロコメをおざなりにしてほしくはない
ちょっと気になるところもあって。エロコメという派手ながらキャッチーな切り口から始めたのは、商業的には正解だと思うんだけれど、おざなりにしてほしくない、とも思う。現状、エロコメがもはや余分になってしまっている。それっぽいシーンを丸々削っても問題ないような状態だ。そのうえ、シリアスの余韻があるため、とてもじゃないがサービスシーンを楽しめるような心境ではない。これはあまりいい状態ではないと思う。
マスラオウ戦、面白かったけれど、正直設定が勝ちすぎているとも感じられた。登場人物がペラペラと喋りすぎているからだろうか。そういったことは、おそらくはここまで意識的に抑制してきたのだと思うが、少し地から浮きはじめているような印象だ。過度に観念的な作品は面白くないものである。
本作を地に繋ぎとめるのは、恐らくエロコメ。それもあってもなくてもいいおざなりなサービスシーンではなく、削れないストーリーの一角としてのエロコメだ。まぁエロコメで始めたからね、エロコメを通す限り、本作の芯は貫かれていると思えるだろう。逆にそこからブレると、何の話?ってなるんだと思う。作者さん的には一つの世界を描いている、という感じかもしれないけれども。
前半ヒロインにも光を
まぁなんにしても、ハナバタ以外の前半ヒロインがチャオズ化しているのは正直本当にどうにかしてもらえんだろうか。トキシッコはもう終わったヒロイン、オワヒロであるし、ひたむきに至っては存在すら忘れていた。
ところでゼニスの25股のとき、トキシッコはキクルを1股扱いするのだが、この1が指すのって誰?ハナバタになるんだろうか?ただそれだといつものトキシッコなら平然と自分たち全員をカウントしそう。あるいはハナバタとの関係を祝福しているのかもしれない?それともエノメを指している?まさか自分のことじゃないよなぁ。ここはどう解釈すべきかわからんかった。
あとここしばらくずっと巻末でメデメデしているだけのメイデナだが、一応今後重要な役割は用意されていそう。「軟派な人は嫌いです」と言っていたけれど実際には背徳で興奮するタイプっぽいよねメイデナ。あざとい。メイデナあざとい。
個人的には今でもトキシッコ推しだったりする。オワヒロのままじゃないと信じてるからな😭
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