運命的に恋をして、恋を実らせるために尋常じゃない努力をし、それが報われて恋が成就すると相手が消える、消えたと思ったらまた出てきて最初に戻る、それを輪廻転生のごとく繰り返すという、ラブコメの不条理を極めた漫画。
ラブコメ病こじらせるとこうなるんだろうか。全然ラブコメ興味ない人にはぶっ飛んだギャグ漫画に見えるかもしれんし、実際ギャグ漫画として読むのがいい気がするが、ラブコメ病患者にとっては闘病日記みたいな作品。この漫画を読み考えこんでしまった人はラブコメ病に罹患しています。手遅れです。
基本情報
『不死身ラヴァーズ』(高木ユーナ):既刊一覧|講談社コミックプラス
全3巻。第一部完なので続きがないとは言い切れないのだが、しかし漫画で早々に第一部完になった漫画の第二部は永遠に来ないのは残念な常識。人気なかったのだろうか。ニッチ向けだよなぁ。俺はニッチに当てはまったのか、夜中に一晩で一気読みしたことを覚えている(といってもそんな長い話じゃないけど)。作者の高木ユーナは諫山創の弟子と聞いたが、たしかそういうことは知らずにタイトルと2,3巻表紙のインパクトで買ったと思う。
だいたいこんな感じ
主人公甲野じゅんが、長谷部りのに運命的に恋をする。そこに理由なんてない。「長谷部」に振り向いてもらうべく、毎日毎日長谷部のために一生懸命。やがてその努力は報われ、長谷部もまた甲野を好きになり、想いを受け入れる…その瞬間、長谷部は消え、甲野以外のすべての人の記憶から消える。甲野は泣き咽び、長谷部の消失を嘆くが、そこへまた新たな「長谷部」が現れ、甲野は再び運命的に恋に落ちて……。
この繰り返し。そんでまた、「長谷部りの」は毎回違っていて、ギャルだったり、人妻だったり、子供だったり、毎日記憶が消えるとかいうどこかで聞いたようなアレだったり、ついには「男」だったりと色々なのだが、甲野じゅんはあらゆる長谷部りのに惹かれ、毎回必ず恋をする。
特に理由のない一途な恋が、輪廻のごとく延々とグルグル続いていく様は、もはやギャグの領域。正直「なにこれ」って思う人はけっこういるだろうけれど、ある一部の人間にとっては、これがたいへんに心を揺さぶられるのだ。なんというか、ラブコメの不条理が詰まっている。その不条理さこそラブコメの魅力の源泉でね。このわからなさがわかる人はラブコメラヴァーズ。
甲野が長谷部に惹かれる様が、本当に特に理由がない。いや、理由は説明されるのだけれど、それ全部後付。まず「長谷部が好き」が先で、その後に長谷部の特徴を好きの理由にしている。つまり、普通考えられる恋愛の因果が完全に逆転している。端的に言うと一目惚れ。
一目惚れはラブコメの基本であり最終奥義でもある。どんな理不尽な恋もこの一言で済ませられたらどうしようもない。これを「運命的」として浪漫を感じてしまう人がラブコメ病です。俺だ。
そして甲野が好きになるのは毎回長谷部りの。姿形は違えども、それは本質的なところで長谷部りのであるらしい。それはなんかそうらしい。それをそれとして浪漫を感じて納得できるのもまたラブコメ病。生まれ変わっても恋人同士になりましょう的な。非科学的かつ非論理的。でもそうなんだ。
それが続く。延々と続く。終わりはない。浪漫だからね、一つの理想世界なんだよ。理想世界だから始まりもなければ終わりもない。
この漫画はラブコメのそんな不条理を率直に描いていると思う。率直に描き、作者自身も答えの出ないまま(そもそも出そうとしたのかどうかは知らんけど)、ラブコメの迷宮の真ん中で好きだと叫ぶ、そんな感じ。
こうして書いてみるとまったくもって意味不明な世界だ。そのわからなさを「何故だ」と問うのではなく、そういうものだとして魅力を感じられる人向けの漫画。そして、いつもはそういうものだとしているのに、本作を読んだ後ばかりは、「何故だ」と問いかけてしまうだろう。わからなさについて考えこんじゃうだろう。考えこんだよ。考えれば考えるほど、甲野と長谷部の関係みたいに、なんだかよくわからないままグルグルする。
総評
ラブコメの迷宮に迷い込んで抜け出せない作品。読み終わって考えこんでしまった人はラブコメ病という不治の病に罹患していますご愁傷様。
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