『ダンまち(漫画)』8巻感想:絶望感が足りない気がする

原作・大森藤ノ。漫画・九二枝。2013年1巻より、2017年8巻。

地雷溢れるコミカライズ界隈で、本コミカライズは非常に丁寧でよく出来た作品だと思う。しかも今回は原作で一番好きなパス・パレードからの決死の撤退戦なので、とても期待していた。

……ちょっと期待が大きすぎたかもしれない。なんというか、絶望感が足りない気がする。うーん……。物語的なハイライトはむしろこの後ではあるから、前哨戦的に描かれるのは仕方ないかもしれないが……うーむ。

ラブコメはほぼお休み。以下8巻感想。

絶望感が……

うーん。前文にも書いたとおり、ちょっと期待しすぎたかもしれない。本コミカライズはコミカライズとしては間違いなく上の部類に入るし、本巻の質も決して悪くない。悪くないんだ。だが俺はもっと期待していた……いや、それとも、原作を思い出で過大評価してしまっているのか?読んだのもう随分前だからなぁ。

しかし、本巻の内容である、パス・パレードからの決死の撤退戦は、本作で一番好きなところなんだ。もちろん、物語的なハイライトは、むしろ9巻以降で描かれるだろうこの後の戦いである。それはわかっているのだが……。

まぁこれは恐らく、俺が小学生時代、チュンソフトの名作ローグライクゲーム、不思議のダンジョンシリーズにハマっていたからだろうとは思う。ただひたすら、ダンジョンに潜るだけのゲームだ(なおダンジョンに出会いはそこそこあった)。お年玉で風来のシレンを買いに行ったことを覚えている(初代シレンはゲーム全体でも一番好きだったかもしれない)。

今思い出しても、小学生にはキツイシリーズだった。なにしろやられると、手に入れたアイテムはすべてなくなり、レベルは1になり、また1階からやり直しである。数時間、時には数十時間のプレイが、一度のミスで水泡に帰す。初代トルネコの大冒険をプレイしたのは小学何年生だったか忘れたが、もっと不思議のダンジョン99階から生還できた時、俺は中学生になっていた。

普通にドラクエやFFをプレイしていた姉などは「何が楽しいのかわからない」と言っていたが、俺にはとても楽しかった……。深層まで潜ると、敵の強さに自分の強さが追いつかなくなって一度の戦闘さえままならず、アイテムも徐々に底を付き、常にHPは減っていていつやられてもおかしくない状況、強敵に出会わないことを祈りながらダンジョン内を徘徊して階段を求め彷徨う緊張感、もうダメだという絶望感の中で、一縷の望みをかけてさらに深層へ潜るあの感じ、俺が唯一プレイしたダンジョンゲームだけれど、たまらないものがあったなぁ。

原作を読んでいた時、あの時の緊張感、絶望感、その中で必死に生きようともがく切実さが、小説の中で再現されているようで、柄にもなくドキドキしながらページをめくった記憶がある。それが、漫画という媒体で絵付きで表現されるのだから、どうしても期待してしまったが。うーん。原作を読んでいた時のような絶望感を感じられず。

まぁよくよく考えてみると、こういうのは漫画で表現するのが難しい部類なのかもしれない。派手なアクションがあるわけではないし、綺羅びやかな女の子がいるわけでもない。徐々にパーティーを蝕んでいくしっとりと絡みつくような絶望は、案外文字媒体のほうが表現しやすいのかもなぁ。それとも、単に思い出が美化されているだけなのか。うむーー。

まぁでも、次からはいかにも漫画映えしそうな"動"のターン。期待していいのかな。

ところでダンジョンゲームといえば、世界樹の迷宮を持っているのだが、未プレイのまま数年がたった。まだプレイする意欲はあるのだが……まさか漫画どころかゲームまで年単位で積む日が来るとは思わなかった。金がないから一つのゲームをしゃぶるようにやっていたクソガキ時代(ゲームソフトの値段が高騰し、新作が1本1万円したバカみたいな時代)、今にして思うと決して悪いもんじゃなかったな……。

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