元シリーズの倍ほど続いた本作もついに最終巻。まぁ巷の評価は散々で、正直言うと自分も残念に思っていたクチなので、この最終巻も長いこと積ん読していたのだが、なんとなく読んでしまった。
で、これはこういう漫画だなぁ、と思えばそういうものか、という気もして、存外楽しめた。ちょっと古いけれど、吾妻ひでおのチョコレート・デリンジャーを思い出した。あれをもうちょっと現代的かつラブコメにすると、こんな感じになるかもしれない。
まぁでもやっぱり、元々の鬼灯さん家のアネキシリーズが好きで、それを求めていた人には受け入れ難い作品だとも思う。以下最終巻こと7-8巻感想。
案外楽しめてしまった
自分自身意外なのだが、案外楽しめてしまった。本作は鬼灯さん家のアネキの続編(?)なわけだが、元の作品の世界観とはまるで違うシュールなギャグの世界観で、多くの読者は面食らい、失望した作品である。ファンがどれだけショックを受けたかは、Amazonのレビュー欄にある、多くの率直な感想を見ればわかる。俺も本作の変化を残念に思った一人だったので、積ん読していたこの最終巻を存外楽しめてしまったのは、自分でも意外だった。
多分、これはもうこういう漫画なのだ、という風に思いながら読み始めたからだろう、と思う。元々本作のノリ自体は嫌いではなかった。ただこのシリーズに求めていなかった、というだけで。
不条理ギャグと捉えれば
読みながら、昔読んだ吾妻ひでおのチョコレート・デリンジャーを思い出した。ちょっと古い……と思ったら、1982年だからちょっとどころではないな。俺より古かった。なんで読んだんだっけこれ。別に吾妻ひでおのファンってわけでもないのに俺。
チョコレート・デリンジャーは不条理ギャグに分類されるだろう漫画で、ディープなファンもいて、後年になって実写化、それに伴い2008年に復刻。そしてそのあとがきで、作者である吾妻ひでお自身が「意味判らん」とのたまった作品 笑。あの作品にラブコメ混ぜて現代風味にしたら、けっこう近い感じになるんじゃないかしら。
吾妻ひでおの自作に対する批評は鋭い。
3回読み直してようやくギャグをやってんだな〜〜となんとなく理解できました
吾妻ひでお, チョコレート・デリンジャー, 青林工藝舎, 2008
中身が濃いというより独り善がりで説明不足
さらに氏の自作への批判は続く。
起承転結の承転を飛ばしている、とのことで、この分析は的を射ているなぁと変に感心した記憶がある。実際、SSでもいいからやってみると、お手軽に不条理ギャグっぽい感じを出せるのでお試しあれ。
とはいえ、それがダメというわけでもないのがギャグ漫画の不思議なところである。実際、チョコレート・デリンジャーは実写化しようというくらい濃いファンがいたわけだし。飛ばされた承転を、読者に想像させるところがミソだと個人的に思う。ギャグ漫画って読者が勝手に神格化するパターンみたいなのあるけれど、あれって多分そうなんだよなぁ。
で、この批評はけっこう本作にも当てはまるんでないかな、と思う。一種の不条理ギャグなので人を選ぶが好きな人は好きだし、不条理ギャグを現代のラブコメ漫画の文脈の中で昇華させた、なんて考えると見え方も変わってくる……かもしれない。
それでも鬼灯さん家のアネキなので
まぁでも、これはかなり好意的な見方だと我ながら思う。だって本作は、鬼灯さん家のアネキだからねぇ。確かに作品は作者のものだと思うけれど、そうは言っても商業である以上読者あっての作品でもある。もちろん作者さんには好きなものを描いてほしいが、それをあえてファンの多い鬼灯さん家のアネキシリーズでやる必要はあったのか?とは読者として当然の疑問だろう。
とはいえ、鬼灯さん家のアネキというしっかりした土台のうえでやらかしたからこそ、本作の不条理具合は強まっているのかもしれないし、だとすると、青臭いながらもどこか胸を打つところのある、家族漫画であり青春漫画でもあった、鬼灯さん家のアネキの世界観をベースにすることに意味があった、のかもしれない。
かもしれないが、読者として納得できるかと言われると微妙なところである。そりゃまぁ元作を切り離して考えればいいのかもしれないけれど、作者さんが思うほどに、読者は割り切れないものなのだ……。だいたい完全に切り離していいならそれこそ鬼灯さん家のアネキじゃなくてええやんって思うし。
まぁそんなわけなので、モヤモヤしたものはありつつも、一つのギャグ漫画として見れば、けっこう楽しめてしまったというのも正直なところで、もうAmazonでレビューすらついていない鬼灯さん家のアネキ(+妹のおまけ)もそのうちに読んでしまうのかなぁという気もする。
それにしても、原作者さんのメンタルが心配になるな。いらん心配だが。大丈夫かいな。
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