『甘々と稲妻』8巻感想:そうか、ことりが高校卒業したら何の問題もないのか(いやあるか)

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つむぎもとうとう小学生。ちゃんと時が流れるんだね。ここまでやるとはなぁ。おとさんが父兄の間で料理うまいキャラになっているのが一番感慨深いかもしれん。

そしてことりも来年には卒業を控えるのだが……考えてみれば、卒業さえしちゃえば、もう何も問題ないんだな!(何が)

以下8巻感想。

目次

つむぎが小学1年生になってなんだか感慨深い

この漫画をずっとおっかけていると、つむぎがついに小学一年生という事実が非常に感慨深い。なんだか親戚のおっちゃん気分である。

それと同時に、人間関係も保育園のものから小学生のそれにバージョンアップし、見ていて心が痛くなることも。子供の世界は狭く、閉鎖的だ。感情を制御する術も未熟であり、剥き出しの感情の対立は痛々しい。でもその分、わかりあえるのかもしれない。

人間関係のレベルが上っているからなのか、飯作って解決だぜ!というよりは、飯は作る、問題はいかにして飯に誘うかだ……という段階になっている。そういう意味では、飯漫画の領域からやや逸脱し始め、普通の日常漫画に片足踏み込みつつあるのかもしれない。

ことりも卒業

つむぎだけではなく、ことりもまた、進路という人生の岐路にたっている。ここでも、ポイントはあくまで対話であり、飯作って解決などという安易なものではない。それは当然のことだと思う一方、何でもご飯で解決というある種の安易さが、この漫画というか、飯漫画の癒やしポイントなのだけれどな、とも思う。

相変わらずご飯はつくるし、重要な位置を占めているけれど、既に単なる飯漫画の段階は過ぎていて、もっと複雑な、人間そのものに焦点が当てられてきているのかな、とも思う。それだけ一人ひとりのキャラクターが立ってきたということだろう。

ジャンルがあって作品があるわけではなく、作品があってジャンルがあるのだから、勝手に枠にあてはめようとはすべきじゃなかろうな。一作品として、世界が広がり、成熟しているのだと受け止めよう。

さて、犬塚先生とことりは、今現在は男やもめの教師と女子生徒という、背徳的過ぎる関係であるけれど、卒業したら別になんてことはないんだな、考えてみれば。元生徒と結婚しましたー、なんてのは割とよくある話だし。ことりは既に、学校とか関係なく犬塚家にガッチリ食い込んでるし。犬塚先生、困ったらことりに相談するのが普通になっているからね。特に母親がいないことを気にしていることもあって、犬塚先生はナチュラルに母親の役目をことりに期待してしまっていると思う。

と言っても、ガチでガチったら、問題山積だろうけどね…。つむぎも「うちのおねーちゃんだったらよかったのにな〜〜」と言ってことりをキュン死させてはいるけれど、あくまで姉であるし。母の死をどれだけ受け入れているかもわからんし。そんなに生々しいところまでは踏み込まないだろ〜、と思っていたのだけれど、これだけ時が流れるとね。

教師と生徒という関係は、だからこそダメだという一面と、だからこそ繋がっているという一面の両面がある。その関係がなくなった後もなお、犬塚家と関わるのであれば、つむぎという鎹があることを考慮に入れても、どこかでけじめはつけなきゃいけないだろうな。二人共まったくなんにも思っていないならともかく、ことりのほうは何か思うところがありそうだし。つむぎも大きくなっていけば、恋愛の機微にも聡くなっていくだろう。となると、いつまでも同じ関係ではいられない。

うーん、どうなるんかな。社会的にはもちろんだけれど、気持ち的にも、皆ハッピーで終わってほしいと思うが。

給食格差

ところで給食の話があったからついでに。給食には地域による格差がある。自分、ガキの頃、家が転勤族だったから、給食格差を身をもって知っている。これは給食費の未納問題とセットだ。

給食制度って調べてみるとけっこう闇が深くて、給食利権なんて言葉もあるくらいだから、確かに見直すべきところはある。でも一朝一夕で変えられるものじゃないし、変わらない間も子どもたちは飯を食べる。制度に問題があったとしても、それは子供たちの飯を貧相にしていい理由にはならない。子供に大人の尻拭いをさせちゃいけない。

要するに、色々問題はあるのは確かだけど、給食費は払おうという話。おわり。

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