『惰性67パーセント』1-2巻感想:男女のデリケートな機微の交錯する大学性日記

紙魚丸, 惰性67パーセント 1, 2015

オススメされたメモより。だいぶ前から積ん読していた。読んだ気もしていたのだけれど、まったく見覚えがなかったので、読んでいなかったのかも。

それでこれは、ああ、うん、20代いいよね。20代っていうか20代前半。陽キャではない文化系の大学生ってこんな感じだった。でも男女4人組って本人らも言っているけれどめっちゃ恵まれていると思う。

初読の印象はラブのないラブコメといったところで、それはそれで面白かったんだが、2巻も半ばになると「なんだかんだラブるのかな」という気もする。正直どっちでもいいかなと思う。ただ、たとえラブが結果的になかったとしても、本作はラブコメらしいラブコメだと思う。以下1-2巻感想。

目次

ラブコメは心

ラブコメってなんだろう、なんてことを読みながらふと思った。特に1巻は、大学生の男女がグダグダしているだけで、ラブらしいラブがない。それにも関わらず、本作は実にラブコメらしいラブコメだと思った。

一方で、あからさまに可愛い女子が出て、キャッキャしながら恋愛しているにも関わらず、「これはラブコメじゃない」と思う作品もある。たとえばうちのサイトで検索(“ラブコメではない” の検索結果 – 少年は少女に出会う)すると、俺がそのように書いた作品が出てくる。なおラブコメはジャンルであって、ラブコメであるかないかは作品の良し悪しと直接関係はしないので悪しからず。

本作で描かれている男女の機微を見ると、ラブコメの本質めいたものが感じられる。それは美少女の仕草や振る舞いを愛でるのではなく、男女間でのやりとりから生じる当たり前の心の動きだ。下着が見られて恥ずかしがる女子の姿そのものではなく、下着を着けていないだらしなさを異性に知られたくはない心の動きこそ本作の醍醐味である。

つまり、俺が「ラブコメじゃないなぁ」と感じるのは、心の動きをトリガにした姿そのものを魅せる作品で、一方「ラブコメだなぁ」と感じるのは、姿を通して心の動きを魅せる作品なんだろうと思う。

本作は典型的な後者である。だから、男が勃起するだけの話も本作では成り立つ。別に勃起した男を見せたいのではない。勃起を通して、ヌードデッサンの時間、隣によく知った異性を意識してしまう男のデリケートな心を描写しているわけだ。

ということで、彼ら彼女らが実際恋愛するのかどうか(しそうな雰囲気はある)わからんが、あってもなくても、本作はラブコメであることだなぁと実に思う。

大学生っていいよね

男女の機微を描くのに、大学生というのは一番いい年齢かもしれない。中高生のラブコメとなると、どうしても潔癖さみたいなものを読者として求めてしまうところが俺にもあるんだが、大学生にまでなると、「何を今さら。ええからはよせんかい」という気持ちになるので、なんでも描ける。かといって、乱れているわけでもなく。ヤラハタ(死語)なんて別に普通だしな。

ああ、いいなぁ。俺もこういう大学生活を送りたかったぜ。しかし、今どきの大学生はどうなんだろうな。なんだかんだで平成の時代、半ばくらいまでは大学生はまだ牧歌的なところが残っていたと思うが、失われた30年の大学生は、あんまり余裕もなさそうな気がする。どうなんやろなぁ。まぁなんでもいいや。勉強しろ学生どもよ。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 確かにラブコメで男女の機微を描くには大学生ぐらいがちょうど良いです。高校生以下だとやはり描写にも遠慮が入るし、大人過ぎると逆に擦れた感じが出てきますし。何というかこの絶妙な初々しさがこの作品の魅力だと思っています。

    • 高校生以下と大学生以上で、見方明らかに変わります。
      ラブコメで高校で決着つかず大学まで持ち込まれた作品ってあるんですかね(ED大学生でフェードアウトならあるけど)。

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