『うちのクラスの女子がヤバい』2-3巻(最終巻)感想:思春期女子のわからない心を意味わからない力に変えて

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作・衿沢世衣子。2016-2017年全3巻。Amazonで3巻がプレミアついているけれどKindle版なら定価。そして1巻何故か無料。

ラブコメラヴァーズ的に嬉しい思春期群像劇は3巻にて終わり。もちろん無用力がなんなのかは謎のまま…なんだけれど、最後にちょっと考えさせる?

どうでもいいがこのクラスに馴染んでいる男子も大概かもしれない。というか女子はともかく男子はどういう基準で選ばれているんだろう。そしてやっぱり男子にして無用力持ちな男の娘リュウが一等可愛いという。そしてラブコメとしても一番気合い入った話が描かれていた。

以下全3巻感想。

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意味わからない力の魅力、その源泉

思春期女子に無用力なる意味不明な力が発現することがある、という舞台設定だが、無用力自体には特に意味がなく、なんでそんな力があるのかとか、そんなことは考えるだけ無駄……だったのかどうなのか、最後のウィルコの話は、やや無用力の本質に迫る話だったかもしれない。

無用力がなぜあるのか、なんてことはどうでもいいとしても、なぜ発動するのか、についてはそれなりに意味があるということか。だいたいみんな発動条件があったものな。

ここまで、無用力は「コントロールも習得もできないしある日突然消えちゃう」力として描かれてきたのが、最後の最後、その人の意思でもってコントロールされた、ということになる。

作中における無用力は、思春期女子特有のものとしているが、実際には実習生でも無用力が続いてしまっている人がいるし、なにより生物学的には紛うことなき男であるリュウが無用力を発現しているので、完全なる心の問題といえる。

となると、多くの人が、無意識のままになんとなく乗り越えるなにかを、ウィルコはその能力が故に、意識的に乗り越える必要があった、ということになるのだろうか。身体が縮んだままなのは、能力が完全に消えていないからなのか、それとも後遺症なのか。

そもそも、乗り越えたという言い方がなにかしっくりこないな。なんだろう、失った、という言い方のほうがしっくりくるかもしれない。無用力は意味不明で時には危険でありながら、なにかいい知れない魅力でもあった。無用力はふわふわした少女の心を体現したもので、いったいどうして、どこに向かっているのか、本人にさえもわからんものだが、そこに今にも壊れそうな危なっかしい美しさのようなものを感じてしまう。

ラブコメ的には圧倒的にリュウと鱈橋

ということで、この漫画を読んで久しぶりに「少女」という概念をえらく考えこんでしまったのだが、まぁでもこの漫画で描かれている少女は、そんなアーティスティックなものではなくて、もっと生々しい現実的な"女の子"というべきイメージだ。というか女ですらないのもいるし。

リュウな。リュウはよかった。3巻で鱈橋と付き合う(?)ところまでやってくれて嬉しい。ってか気合いの入ったキスシーンまであるし、さては作者さんもお気に入りだな?この告白からのキスシーンめっちゃ読み返してしまった。これだけ話があって一番進むのが男同士という。

いやもちろん普通に男女のやつもよかったよ。お気に入りは困惑で蝶を呼ぶ唯ヶ先と、虫好きの杣川の話はロマンチックかつバカバカしくてよかったね。ギャルっぽいのとオタクっぽいのでギャップがまたよし。ギャップはラブコメの王道にして華だね。

衿沢世衣子, うちのクラスの女子がヤバい, 第2巻

俺もテンション上がってきた。この気持ちわかる人には良い漫画だったと思う。まぁリアルに共学いたときには特にこんな思い出なかったけど。ラブコメは浪漫だからね。そうね。うん。はぁー……。

まー面白かったなこの漫画。作者さんの他作もちょっとあたってみようかな。

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