『幼なじみは女の子になぁれ』3巻(最終巻)感想:男でも女でも幼なじみはいいよね

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作・森下真央。2014-2015年全3巻。

パンチの効きすぎたタイトルのTS系異色幼馴染漫画も最終巻。表紙がマジですか!?という感じでどうなるかと思いつつ読んだらカバー裏…。

そういえばボクガールも幼馴染ものだったか。そんなに多くを読んだわけじゃないが、男の娘ものにも幼馴染ものが多い気がしていて、なんでだろうと思っていたけれど、本作はその解答例なのかもしれない、とか思った。どうしてもTSが目立つけれど、本質的には幼馴染ものなのかも。

Amazonの内容紹介によると、4巻で臨海学校の予定だったらしく、これで最終巻なのは残念。しかしあの内容紹介は誰視点なんだろう。

以下3巻最終巻感想。

幼馴染という特別な関係

最終巻ということで、やや急転直下ながら結末が描かれる。しつこい妖精シルフィの母親に、性転換の魔法のみならず、関係者全員に記憶改竄の魔法をかけられるというガチ展開。最初こそ俺は男だ!という伊織であったが、肉親含め全員から詩織扱いされるものだから、その自信も揺らぎ始める……が、みゆの恋心が伊織に男である自覚を取り戻させる。そして最後、"伊織"の呼びかけに答える形で、"伊織"との思い出を捨てたくないシュウがすべてを思い出し、シルフィの母が作った世界は瓦解。伊織は女の子にはならず、妖精シルフィも人間界にとどまって、伊織の意志で性転換を受け入れさせることを本気か冗談かわからない感じで目指す感じで終わり。大団円。畳み掛けるような終わり方だが、一悶着あったのだろうか。

それはいいとして、伊織は女になったわけではないが、女の子にならなくなったわけでもない。つまり延長戦エンドである。いわゆるTSものとしては、特に結論を出さなかった形だ。むしろ最終巻である本巻は、幼馴染色が強い

一番印象に残ったのはシュウの言葉だった。

「でもさ こうして写真を見てると 男とか女とか関係なく
伊織と幼なじみでよかったなーって思うわ」(アルバムを見ながら)

「大事な思い出を共有してこその幼なじみだ!
記憶を改竄してどうすんだ!!」(記憶を取り戻した後、シルフィ母に向かって)

なるほど……。

異性だろうが同性だろうが、幼馴染という関係の特別性は変わらないわけだ。「男とか女とか関係なく」という考えは、TSのみならずラブコメ世界へのアンチテーゼですらある。

でもやっぱり、関係なくはない。記憶改竄後の世界では、シュウと詩織は恋人同士になっていたが、現実に伊織が本当に女だったら、そのような関係を築いていたように思う。であれば、やはり男同士とは違う。幼なじみだからこそ、男とか女とか関係という言葉にも説得力が出るが、だからこそ性差が際立つ一面もある。"幼馴染"と"TS"は、互いに互いの要素を引き立て合うジャンルなのか……。

"詩織"ではなく"伊織"が本当に女としてシュウと一緒になりたいと考えれば、シュウは受け入れるかもしれない。つまり表紙が実現する。それがシルフィの最終目標でありみゆの避けたい未来だろう。そこまで恋愛面につっこむとボクガールだが。そういえばどちらも2014年1巻だから時期的には被っているんやね。カバー裏は無事みゆが花嫁さんでなんとなくほろり。

ところで、Amazon検索と間違えてタイトルをGoogle翻訳してしまった。"My Childfood friend can become a girl" らしい。うーん、英語だとこの日本語の頭おかしい感じがイマイチ表現されんね。"ぁ"がポイントだよなぁ。