『ガールミーツボーイ』感想:在りし日のガールは母になる

 表題に釣られて

小説。作者・野中柊。2004年。

図書館で適当になんぞ借りようかねとちょろちょろ見ていたら、こんなタイトルの小説が目に入った。タイトル借りよ。シングルマザーものという感じで、ここからどう表題に繋がるのか?と思いながら読んでいたが、なかなかどうして切ない。以下大いにネタバレ。

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シングルマザー奮闘記

主人公・美世は、息子太朗と母子家庭。旦那は数年前に失踪。かなり訳ありな家庭である。色々な一人に助けられつつ、息子を頑張って一人育てる女性の話。うちの姉もシングルなので、子育て描写がけっこう生々しく感じられる。

そうして子育てに奮闘している時、美世は完全に一人の母である。いったいどうしたら、これが表題に繋がるのか。ガールどこだよ。あれか、四十代女子的なアレなのか

ガールはここにいる

もちろんそんなことはない。美世は、母である一方、いまだガールを残している。たとえば、友達や息子と一緒に遊園地に行った時には、ボーイフレンドとデートしたことや、ファーストキスが観覧車の中であったことなどを思い出している。そして、思い出を振り返りながら、以下の一節に続く。

どんな思い出よりも、息子と過ごした時間に優る甘やかな思い出がありうるだろうか。十年経ってみたら、わかる。二十年経ってみたら、わかる。いや、年月を経なくとも、たった今、わかる。私は息子の手を握って、女の子の気分を味わっている。(野中柊, ガールミーツボーイ, 単行本 P.84)

こんなところにガールがいたよ。なるほどなぁ。こういうのは、母子ならでは、かもしれない。それも、シングルの。同じシングルでも、父娘じゃちょっと違うな。うん。それだとなんか怪しい。父親のいない若い母子の距離感だと思う。

そんな美世は、友人が言うにはかつての旦那と大恋愛で電撃結婚をしたようなのだが、当人はその頃の記憶がほとんど朧げになっている。それは思い出すことさえ拒絶しているようで、友人はかなりいたたまれないようなのだが、当の美世はどこ吹く風だ。

だが、ある日太朗が家に帰って来ず、あちこちを探しまわった時、かつての情愛を思い出す。旦那が失踪した時、必死に探していた記憶を思い出す。太朗がいなくなったことは、美世にとってただ子供がいなくなったというだけのことじゃない。それはトラウマでもある。

ガールの別れ

結局太朗は帰ってきて、そしてそれが父親である田口と会っていたことがわかり、物語はクライマックスへと向かう。美世と田口が出会い、正式に離婚届を役所に届けるのだ。

美世と田口は、久しぶりにあっても、打ち解けることはなかった。離婚届が受理された後、二人は静かに、最後の夫婦喧嘩をする。田口は目に怒りを宿し、美世は涙をこぼし、数分か、それとも数秒か、見つめ合った。そして、田口の目からふと怒りが消え、悲しみを浮かべながら「好きになって、ごめん」と呟く。そこで初めて、美世は在りし日の田口に会い、決別することができた。

美世と田口が実際のところどうだったのか、詳しくは語られない。恐らく、二人とも真実を語っているのだろう。美世は田口を愛していただろうし、田口は美世に愛されていないと思っていた。どういう経緯があったのかは、本筋ではない。

ただ、最後の別れ際、田口に対し、幸せになって、と願った主人公の気持ちは、普通にはちょっと理解しがたいものがある。いかなる理由があるにせよ、田口は身勝手にも子供を捨てたのだから。

でも、そういうことじゃないんだろうな。それは、ガールだった美世が、ボーイだった田口に向けた願いだったのかもしれないと思う。ボーイへの別れであり、ガールへの別れでもあったんじゃないか。成熟していない、自分勝手な、ボーイとガールの。やがて成長し、再び相交えることはあるのだろうか。それは、わからない。

そんなわけで、読後はやけに切なかったけれど、皆、前に向かっているので、悲壮感があるわけではなかった。ガールだった美世は、母として太朗と共に人生を歩む。一読者としては、美世と太朗こそ、幸せになって、と心から願うばかりだ。

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